死滅回遊魚の走馬灯




どんなにブン太が好きでも、それだけではいけないんだって、私はよくわかっていた。





『好きです、私と付き合ってください』

何の変哲もない、ただの告白。
精一杯の勇気を振り絞って、憧れの丸井ブン太君を呼び出し、頭を下げた。
1年生の時は同じクラスで、3年生の今は違うクラス。
喋ったことなんて殆どない私を、彼が選んでくれるとは思っていなかった。
ただ、彼がパティシエ修行で海外留学するかもしれないと聞いたら、言わずにはいられなかっただけだ。
だから、彼の返事を、私は聞き間違えたと思ったんだ。

『俺も、のこと好きです。だから、カレカノとして今後もシクヨロ』

照れくさそうに笑ったブン太の顔を、私は夢でも見ているかのように、呆然と眺めたのを憶えている。
あの瞬間が一番幸せだった。





ブン太の隣に立つと、世界が180度変わって見えた。
周りの目が、私を突き刺しているように感じたのだ。
丸井ブン太の彼女であるということは、品定めされるということなのだと知った。

『ブン太、私、ブン太に釣り合うように頑張るね』

それが愛情表現であると信じて、私は拳を握ってみせた。
ブン太がそれを微妙な顔付きで見ていたから、なんでそんな顔をするんだろうと思った。
でもブン太は、そうか、と言った。

が頑張るなら応援するけど、無理はするなよ?』

本当は、もっと違う言葉をブン太は言いたかったに違いない。
でもブン太は優しいから、私の気持ちを優先してくれた。


なのに私は、自分のことばかりだった。





高校生になって、少し痩せた私は髪を染めた。
明る過ぎない茶色い髪。トリートメントは丁寧に、艶を出して、アイロンで整えた。
次にネイルを塗った。
先生に怒られない、ギリギリの薄いベージュピンク。休日はラメを足した。爪は割れないように気を付けて伸ばしては、やすりで削った。
メイクも覚えた。
薬局で揃えた化粧道具一式、ネットで調べながら毎日鏡に向かう。
下地、ファンデーション、ハイライト、チーク、アイブロウ…繰り返す手順と隠されていく素顔に慣れた頃、ブン太と初めて喧嘩をした。


デート先でポーチ片手にトイレに立つ私の腕を、ブン太が掴んだ。

『化粧直さなくてもよくね?』

ニッと歯を見せて笑ったブン太に、私はカッとなった。
なぜか、バカにされたと感じたのだ。
元々顔の造形が良い人にはわからない、私がどれだけ必死に可愛い容姿を手に入れようと努力したのか。

『リップを塗り直すことが、なんで悪いの』

そんなことを言った。

『悪いなんて言ってないだろ。ただ、はそのままでいいと思うぜ』

ブン太の柔らかな言葉が歪んだ響きに聞こえ、優しい眼差しが嘲りの色に見え、胸の奥からどす黒い感情がドロリと広がった。

『よくない!』

ブン太の手を振り払って、カフェを出た私の背中に、ブン太の『!』という声がかかった。
けれど私は立ち止まらず、ブン太はお支払いをしたのか、追ってこず、結局その日は夜に電話をした。
お互いに今日はごめんと謝って、ブン太が『聞いてくれ』と真剣に切り出した。

は可愛くなった。マジで。皆がのこと可愛いって言ってる。その可愛いの為にが頑張ってきたのも知ってるし。でも、俺はメイクしてないがめちゃくちゃ可愛いって中学の時に思って、だから付き合ったんだぜ?忘れんなよ。はそのままで充分だ』

外見に拘っていた自分が溶けるようだった。
ブン太に見合う女性になりたくて、見た目の可愛さを追い求めた。


ブン太は一度もそんなの私に求めたことなかったのに。


でも、だからって、中学の頃のような素朴な私には戻れない。
ブン太の好きだった私は、もういない。





「ねえ、ブン太。ネイル、どっちの色が好き?」

化粧品売り場の前で、ブン太に見せたワインレッドとターコイズブル-。
近頃メイクが以前より簡易になり、必死に着飾っていた頃よりも穏やかになった私にブン太は安心した顔を見せている。

「やっぱレッドだろ。絶対こっち」
「だよねー」

ネイルをどっちも棚に戻すと、ブン太が「買わねえの?」と尋ねた。

「また今度。それより、ほら、映画行こう」
「おう」

絡めた指先にラメは光らない。
ブン太がすっかり黒く落ち着いた私の髪に頬を寄せる。

「映画終わったら、ケーキ食いに行こうぜ」
「大賛成」
「そんで俺ん家来て、いちゃつく」
「はいはい」

映画館への道は、ブン太の目には幸福に満ちているように映っているのだろうか。
私には終焉への階段でしかない。

わかるんだ。

こうしてブン太とふざけて笑い合う瞬間も、私は自分の顔が心配でならない。
睫毛にマスカラを重ねたいし、アイシャドウにラメを乗せたいし、ファンデーションを直したい。

今夜にでも私達は終わるだろう。

そして私は明日、ターコイズブルーのネイルを買って、いつかブン太に新しい彼女ができたら、呪いをかけるのだ。



「あの子、可愛くない。ブン太に釣り合わないよ」



いつかの昔、私にかけられたのと、同じ呪いを。


昔は可愛かった女の子と、昔の可愛かった女の子が好きなブン太の別れ話。

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