君が滅ぼす世界ならきっとそこはどこまでもうつくしい




周助はとても可哀想な人だと思った。
心を持っていない、とてもとても可哀想な人。
私に心を奪われた、とてもとても可哀想な人。
だから私は、私は―――。



、どうかしたの?」
「何でもないよ、周助」

周助と一緒に帰る道はもう見慣れたもので、その昔感じたギクシャクはどこにもない。
周助の冷たい手が、ぎゅっと私の手を握った。
低い体温が私の手を包んでる感覚、嫌いじゃない。

「嘘だね。、何か考えてたでしょ?」

僕にはお見通しだよ、とでも言いたげなその笑顔は、嫌い。

「しかも暗かった。…何かあった?」

周助は眉尻を下げて心配そうに私の顔を覗き込む。
私はぴたっと立ち止まって、言う。

「あのね、」





















翌日の学校では、ある話題が駆け巡っていた。

「ねえ…花山さんと不二君って、付き合ってるの?」
「さあ、どうなんだろう?でも急に仲良くなったよね」

これはクラスメイトの女子の会話。
私はそれを小耳にはさみながら、流石周助だな、と呑気に小さく笑った。
周助と付き合ってるのは私だから、ここはショックを受けるか怒るかしなければいけないはずなんだけど、周助のそれは浮気とかじゃないってわかってるから私は余裕。
皆は「別れたのかな?」と好奇の目で見てくるけど、私があまりに平気そうだからつまらなそうにしている。
ふと教室の空いてるドアの方に視線を向けると、廊下を仲睦まじく歩く周助と(高校生にしては化粧厚すぎでオバサンに見える)花山さんが歩いてるのが見えた。
一瞬、周助と目が合ったのは気のせいではないだろう。
その瞬間、周助がニコッと私に笑いかけたのも、きっと気のせいじゃない。
周助は、とてもとても嬉しそうに私に笑いかけたのだ。
私は誰かに懺悔したくなった。

、…不二君と別れたの?」

恐る恐るといった風にそう尋ねてきたのは、親友のみっちゃんだ。

「まさか、周助とはまだ付き合ってるよ」
「そっか、ごめん」
「ううん」

廊下に見えていた周助と花山さんは、もういなかった。





















それから少しして、花山さんが学校を休んだ。
そして一週間ぶりに登校した花山さんは、この世の不幸を一身に背負ったような暗い表情をしていた。
私と周助を見ると、花山さんは醜く顔を歪ませて、滑稽にも怯えていた。

に酷いことを言った彼女、もうには何もしないよ。だから、安心して?」

一週間前まで花山さんと一緒に下校していた周助は、今はもう私と一緒に再び下校している。

を傷付ける人は、全部全部僕が消してあげる」

繋いだ手はやっぱり冷たくて、私の手で周助の手を温めてあげられたらいいのに、なんて救いようのないことを思う。
だって、きっと周助の手を冷たくしたのは私だから。

そんな私が周助の手を温めるなんて、できるはずない。

私は周助の手を握る力を抜いた。
けれど周助が更にぎゅっとしたので、私はまた握り返す。

「ありがとう、周助」

花山さんから守ってくれてありがとう。
そう笑うと、周助は「どういたしまして」と微笑んだ。



『あのね、花山さんが私と周助が付き合ってるの良く思ってないみたいなの。わざとぶつかってきて、すれ違いざまにボソッと酷いこと言うの。それで、ちょっと…』

一週間と少し前、私は周助にそう言った。
すると周助は『そっか、わかった。僕に任せて』と私の頭を撫でてくれた。

『僕が花山さんを、潰してあげる』

いつもと何ら変わらない笑顔でそんなことを言った周助は、その宣言通り、花山さんを潰した。
どうやったのか、何を言ったのかはわからないし、別に知らなくてもいい。
ただわかってるのは、周助は私の為に人を傷付けられるということだ。
今までもそんなことはたくさんあった。
私にビンタした女の子は傷だらけになって最終的に転校したし、私に痴漢したおじさんはトイレでぼこぼこになっていたし。
別に周助はそういうダークなことばかりをしてきたわけではないのだけど(私が欲しがったUFOキャッチャーの商品を取ってくれたり、私が落としたアクセサリーを暗闇の中で一緒に探してくれたり)、それでもそういったダークなことばかりが思い出される。
何が切欠で何が始まりだったのかはもう覚えていない。
私が周助と付き合ってるのを妬んだ女子に虐められた時かもしれないし、幼稚な男子に大切にしていたペンを折られた時かもしれない。
そうして泣いてる私を慰めて「僕に任せて」と周助は微笑んで、それから少し経つと、女子は私を虐めなくなっていたし、男子は私に謝ってもう二度とちょっかいをかけてこなくなっていた。
周助が平和的に解決してくれたのか、現在のようにどこか非道に潰してくれたのか。
それはわからない。
だから何がどうしてこうなってるのか、私にはわからないのだ。
ただわかるのは、私が周助を、こんなにも歪ませてしまっているということだけ。
私はただ、泣いて周助に慰めてもらっただけだったのに。
それだけだったはずなのに。
それだけで、周助はこんなにも酷い人間になってしまった、させてしまった。

なんて可哀想な周助。

私を想う君は、可哀想な人。
君を更に更に歪ませていく私をまだ想うなんて、可哀想で可哀想で、見てられないよ。



?」

周助は私の同情とも悲哀とも言えない青い感情を察したのか、寂しそうな目で私を見た。

「どうしたの?また何か心配事?言っていいよ、僕はの為なら何だってしてあげるから」

心配事?
うん、すごくすごく病んでることがあるの。
周助のことで、私、いつも辛いの。

…なんて、言えるはずもなく、私はまたちょっとしたことを告げる。

「今日の夕飯、何かなって思ってただけだよ」

そう笑えば、周助も笑って「そっか。好物だといいね」と言ってくれた。
きっと、周助のことで最近辛いの、って言ったら周助は自殺しちゃうんだろうなって思ったら…目頭が熱くなった。
こんなにも周助と繋ぐ手は冷たいのに。





















周助を想う日々。
昔は周助を想うと胸がきゅーんとなってどきどきして高鳴っていた。
今は周助を想うと胸はぎゅーっと締め付けられて大きく揺れて崩れそう。
周助は私の為にたくさんたくさんしてくれて、こんなにこんなに私に優しくしてくれて、だから私は幸せなはずなのに。
私は、何でもしてしまう周助が可哀想でたまらない。
周助が私の幸せを守ろうとする度に、私の幸せは壊れていって、周助に気を病むばかり。
周助は私を幸せにする為にここまで来たのだから、きっと私は幸せを噛み締めていなければいけないんだ。
でも、駄目なの。
私が周助の為にできることはそれしかないのに、私は周助の望まない感情ばかりを積み上げている。
周助、周助、周助。

なんで君は私を愛してしまったの?

私を愛しさえしなければ、君はこんなに歪まなかっただろうに。
君は折角私を愛してくれたのに、こんなことばかり思ってごめんね。
君が私の為にしてくれたこと、素直に喜べなくてごめんね。
私は周助を愛してるから、どうしても周助のことばかり想ってしまうの。
ごめんね。
周助の為に何もできない私なんて、消えちゃえばいいのにね。
周助に酷いことばかりさせてる私なんて、死んじゃえばいいのにね。
でも君はそんなこと望んでないんでしょ?
だって、君は私のこと、歪んでしまうくらい愛してるんだもんね。
それが嬉しくて、でもとても辛いよ。





















「何やってるの?周助…」

その日は、いつも通りのはずだった。
何の変哲もない、良くも悪くもない1日。
でもどちらかと言えば運の悪い日。
教員に呼び止められて、旧校舎の資料室まで行かなくてはいけなくなった放課後。
たったそれだけの、少しだけ面倒な日。
そのはずだった。
なのに、目の前に広がるこの光景は何だろう。

私の親友に、刃物を向ける周助が、暗闇の中で微笑んでいた。

…」

親友のみっちゃんが縋るような目で私を見つめる。
私の喉はカラカラで、口からはひゅーひゅーと空気の抜ける音と空気を吸う音しかしない。
私はわけがわからなかった。
だって、私はこの資料室に教員に言われた資料を取りに来ただけだ。
それでなんでこんな場面に出くわすんだろう。
どうして、こんなことになってるんだろう。

私、周助にみっちゃんのことで何か言ったっけ?

まず、そう思った。
ぐるぐるぐるぐる最近の出来事を思い返してはみるけど、周助がみっちゃんに刃物を、果物ナイフを向ける理由が見当たらない。
混乱する私の目には、泣きそうな顔のみっちゃんと私に優しく微笑む周助と、暗闇に浮かぶ白く輝く刃物が映る。
何が起きてるの?

、ごめん、ちょっと待ってて?すぐ済むから」

この浮世離れした光景の中で周助だけがいつもの調子を保っているようだった。
まるで日直の仕事がまだ終わっていないかのような言い方。
怖い、と思うと同時に、周助をこんな風にしてしまったのは私か、とも思った。
そんなことを思ってふと我に返る。

「周助、みっちゃんが、どうしたの?」

声が震えた。
涼しいはずの資料室なのに、汗が額を流れる。
これが冷や汗というものか。

「うん、何かね、」
「やめてっ」

周助の話を遮るように、みっちゃんが「やめて」と訴える。
みっちゃんは、泣いていた。

「やめて、やめて、不二君」

そんなみっちゃんを、底冷えするような鋭い目つきで見やる周助。
ぞっとした。
私以外の人間にはそんな目を向けられるのかと思うと、怖くて悲しくなった。
そしてその冷たい目でみっちゃんを黙らすと、周助はまたいつもの優しい笑顔に戻って私に言う。

「この子、僕のこと好きなんだってさ」

頭が真っ白になるっていうのは、こういうことなのか。

「つまりね、のことを裏切ってたんだよ、この子は」

だから許せなくてさ、と周助の口は続けた。
まだ何か続けて言っていた気がするが、頭に何も入ってこない。
でも、受け入れられないわけではなかった。
私は心のどこかで納得していた。

ああ、だからみっちゃんはどこか期待を込めた瞳で私に「周助と別れたのか」と聞いて、否定したら悲しげに笑ったのか。

私は、なんとなくみっちゃんが周助を好きだということに気付いていた。
みっちゃんも薄々それに気付いていたのではないだろうか。
それでも私達の関係は崩れることはなかった。
親友だから。
たとえみっちゃんが周助に告白したことが私への裏切りだとしても、私とみっちゃんが親友同士であることに変わりはない。
私からしたら、「やっぱりそうだったんだ」と諦めと吹っ切りと納得が落ちてきただけだ。
でも周助からしたら、違う。
私の彼氏だと知っておきながら告白したという行為は明白な私への裏切りなのだ。
もしかしたら、みっちゃんが「なんてやめなよ」とか言ったのかもしれない(みっちゃんはそんなこと言わないけど、可能性の問題だ)。
とにかく、なんとか頭の中を整理した私が導き出せた答えはひとつ。

みっちゃんが危ない。

やっとそう察知できた時には、もう周助はみっちゃんに向き直っていた。
薄暗い部屋に窓から入る光が、周助の持つ金属を照らす。

「僕がの彼氏だって知っておきながら、親友である君が僕に告白するなんてね。君はと一緒にいるのに相応しくないよ。というか、に二度と関わらないで。君はもうを傷付ける存在だ。だから、駄目だよ…。に近付くな。もしもに近付いたら、刺しちゃうよ?」

周助の腕が動く。
私はとっさに目を瞑る。
みっちゃんは動けない。
ガッ、とナイフが何かに刺さる音がした。
そっと目を開ける。
周助の持っていた果物ナイフは、みっちゃんの顔の脇、みっちゃんの背にある本棚の木枠に刺さっていた。

「約束、してくれる?」

周助は果物ナイフを棚から抜きながら、笑う。
それはいつも私に向けてくれる優しくて愛しい笑顔と同じものだった。
周助は、いつもその笑顔で私に好きだと愛していると言ってくれているのに、なんでナイフを持って私の親友を脅しているの?

…私の、せいだ。

周助が私を愛したせいだ。
私が周助に縋ったせいだ。
私が周助を歪ませたせいだ。

「約束、するっ。もう二度とには近付かない…。ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい!」

みっちゃんは嗚咽を漏らしながら必死に謝った。
私に謝っているわけでも周助に謝っているわけでもなく、ただ恐怖に怯えて謝るしかなくなっているだけだ。
そして周助が「目障りだから、さっさと消えて?ここにいるだけで君はと関わっていることになる。それはとてもとてもイラつくことだからさ」と言うと、みっちゃんは走り去った。
一回、出入口に立つ私と目が合ったけど、すぐに逸らして資料室から出て行ってしまった。
何も言わずに、泣きながら。

「さあ、帰ろうか、。あ、そういえば資料室に何か用だった?手伝おうか?」

周助は今のことなどなかったかのように振る舞う。
いつものような動作に、果物ナイフをポケットに仕舞う動作を加えていながら、とてもいつも通りだった。
私は、そんな周助をもう見ていられなくて、涙が流れた。

?どうしたの?どこか痛い?」

驚きと焦りと不安の交じった声。
慌てて私の元に駆け寄って、頬を撫でる冷たい手。
急に泣き出した私を心配してくれてるんだとわかる。
わかるからこそ、辛い。

こんなに優しい人を、私は…あんな酷い人にしてしまったんだ。

「ごめんね、周助。ごめんね。私のせいで、私のっ、せいで!」
…?」

周助の、頬を撫でる手が止まる。

「私のせいで周助はこんなに残酷な人になっちゃった。本当はすごくすごく優しいのに、私がその優しさを酷いものにしちゃった。ごめん、ごめんね、周助。私なんかの為に何かしようとなんてしてくれなくていいんだよ、一緒にいてくれればそれでいいよ。もうヤダよ、周助。なんで周助のこと愛してるのに、周助に対して罪悪感とか同情とか、そういう感情ばかり湧くの?でも、それって私のせいなんだよね?私の、私の、」

今まで私の中で溜まった思いが溢れて零れて涙になっていく。
駄目なのに。
こんなこと言ったら、周助を傷付けてしまうだけなのに。

?何言ってるの?僕はただ、を、」

周助は、泣きそうだった。
私は泣きながら泣きそうな周助の胸にしがみ付く。
周助は動揺か動転か、私の背に腕を回すなどしてこない。

「周助、もう駄目なの。私、もう駄目だよ。これ以上、周助の心を奪いたくない。周助に酷いことさせたくない。辛いの、周助…。周助への愛と、周助の愛がある限り、私、辛い。もう…死にたい」
「……え?」

「私、死にたい…っ!!」

その瞬間、時が止まったように思えた。
ハッと気付いた時にはもう遅い。
私も周助も、呼吸を忘れたようだった。
それくらい薄暗い資料室は静かだった。

「……そっか、わかった」

やっと呼吸を取り戻した周助の最初の言葉は、それだった。
周助は平常心になったのか、落ち着いた様子で優しく私の肩を押した。
私は周助と見つめ合う。

がそれを望むなら、いいよ」

周助は、まるで私に愛してるとでも言いたげに、柔らかく微笑んだ。

「しゅ、すけっ」

まだ泣き止んでいない私の声に顔があったなら、きっとすごく不細工だっただろう。
私は周助の温かい瞳に包まれるような錯覚を覚えた。
そして周助は笑みを深くして言う。



「君を殺して、僕も死ぬ」



ああ、やっぱり周助は、可哀想だね。


1周年と5万打リクエスト企画より。

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