第三者の発狂




「柊、羽張彦はどこにいるの?」
「私も存じ上げないのです」
「どこに、いるの?」
「存じ上げないと」
「・・・そう」

知らないのね、とは呟いた。失望したとでも言うように。
そして私はまた知らないと言った。まるで嘘のように。

「柊」
「何ですか?」
「羽張彦はいつ帰って来るの?」
「それも存じ上げません」
「そう」

は宙の一点を見つめていた。大きな岩に腰掛けたの姿勢は少しも崩れない。
私はの横に立ち、見下ろすだけだ。
それ以外に何ができると?
もしもの瞳に自分を映す自信のある者がいるなら、是非やっていただきたい。恐らく彼女は宙を見つめたままだろうが。
まぁ、自信のある者というのが羽張彦だったなら話は別でしょうが。

「日が暮れますよ、

凪いだ青草が橙色に輝き始めた。その中に佇むはあまりにも美しくて、目を逸らす。

「待って、柊。羽張彦が帰って来るかもしれないわ」

帰って来ませんよ、と言いかけた口を閉じる。そんなこと言ったらは。



『イヤァァァァァ!!!』

・・・が羽張彦の死を知って気を失ったのは記憶に新しい。そして目覚めた時、は「羽張彦の死」という事実を覚えていなかった。
それでいいと思う。
は知らなくていいのです。羽張彦が死んだことも、羽張彦と一ノ姫が愛し合っていたことも。なぜならは羽張彦がいなければ死んでしまうし、羽張彦を深く愛しているのですから。
は、知らなくていい。



、風邪を召されてしまいます」
「なら羽張彦は?羽張彦は一人でいるのよ?もしかしたら怪我をしているかもしれないわ。病気にかかっているかも。なら私がここで待たないと。羽張彦の無事を確かめないと。もし怪我をしてたら、すぐに治せるようにしておかないと。もし病気にかかっていたら、すぐに処置しないと」

の瞳は未だ虚空を見つめたまま。無機質に呪文を唱えるかのように、抑揚もなくは言葉を紡ぐ。
以前はもっと抑揚のある、聞いていて心地良い話し方をしていた。
目覚めてから、はこうなってしまったのだ。
恐らくの心は知っているのでしょう。羽張彦がこの世にいないことを。
だからはこんなにも、虚無なのだ。

。帰りましょう。貴女が風邪を引いては、・・・羽張彦、に何かあった時何もできませんよ?」

私は駄目ですね。
羽張彦の名を出すのに戸惑ってしまった。
まるで羽張彦が生きているような台詞ではないか。嘘のようではないか。

「でも、羽張彦を待ちたいの」
「いけません、
「嫌。嫌よ」

「嫌・・・」

は水晶ような瞳を大きく見開いた。
これは、いけない。

「もしかしたら、死んでるかもしれない・・・。羽張彦が、死んでるかもしれない。待っても待っても帰って来ないんだもの。死んだの?羽張彦は、死ん、」


 ドサリ


の体が岩からずり落ちる。私はそれを受け止めた。
は正常に呼吸をしている。
私は申し訳ない気持ちになり、詫びた。
やはりに手刀を食らわすのは忍びない。
しかしこうでもしなければはずっとここで羽張彦を待っていただろうし、羽張彦が死んだことを思い出してしまうかもしれなかった。
私の守り方とは、どうしてこうも間違っているのだろうか。
夜の闇が迫る草原に追われるように、そこから立ち去った。






「・・・?どこですか?」

翌朝の元を尋ねたが、はいなかった。それはいつものこと。きっと今日もあの、がよく羽張彦との語らいの場にしていたという岩に座っているだろう。しかし、私の予想は裏切られた。

っ!?」

岩には座っていなかった。
あの濁った瞳はどこへ。生気のない横顔はどこへ。
叫ぶなど、私らしくもない。
しかし叫ばずにはいられない。
焦燥感が私を攻め立てる。

?」

朝日に輝く青草が、憎たらしいほど美しく揺れる。
この景色と共にあった彼女の姿はどこにもないというのに。



道行く者、皆にの所在を聞いて廻った。
するとの足跡が見えてくる。
の足跡は、岬に向かっていた。



岬に着くと、切り立った崖の先を見つめるがいた。
私は安心して溜息を吐きました。

良かった。はまだ生きている。

ゆっくりとの隣に立つ。
見下ろしたの瞳はやはり宙を見つめていた。

「どうしてここに?

宙を見つめているの瞳。
私は、その瞳がいつもと違うことに気付く。
何も映していなかったその瞳に、光が。

の唇が震えた。

「柊、見て・・・」

の腕が上がり、彼女は崖の向こう―――海を指差す。
その手も震えていた。



「羽張彦が、羽張彦が、いるよ?」



ああ、彼女は、

「そこにいたのね、羽張彦・・・」

彼女は、

「・・・っ!羽張彦!!」


の頬に透明な雫が。


そしては走り出す。
真っ直ぐと、崖の先へ。

私は伸ばしかけた手を引いた。
私にを止める資格などない。
それに、ほら。

「羽張彦・・・!」

はあんなにも、幸せそうだから。
私にはを止められない。

潮風に髪が靡く。
はその潮風に乗るように、崖の先に足を踏み出した。






「・・・さようなら、






その光景はあまりにも美しく、目が逸らせなかった。


笑いながら(泣きながら)落ちる(堕ちる)少女。


逝く先に待つのは、愛した人とその恋人だというのに。
逝った先には、更なる絶望しかないというのに。

そしてきっと彼女は深海で泣くことだろう。


なんと、哀れな少女か。


ああ、この頬を伝うものは彼女の涙だろうか。






「柊。は?」
「・・・存じ上げません」


遙かの突発お兄ちゃん短編企画より。

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