ゆびさきのとまどい




俺は子供が嫌いだ。
理由なんて腐るほどある。
小さいくせにちょこまかと動き回る所がうざい。
人の話は聞かないくせに自分の話を聞いてもらえないと拗ねるのも面倒だ。
話と言えば、瞬きしている間に話を変えるのも迷惑だ。
会話が繋がらない。
それと頑固、いや、我儘だ。
自分の意見を曲げることは皆無。
それがどんなに他人に迷惑を掛けているのかもわからずに駄々を捏ねる。
いい迷惑だ。
本音と建前の区別が付かないのもむかつく。
冗談を言っても通じないし。
金魚は世話をする人間に恋をするから赤いだなんて、馬鹿じゃないのか。
頬を膨らませて拗ねるだなんて、苛々するだけだ。
可愛くも何ともない。
何も考えずに誰彼構わず笑顔振り撒く姿がまた癪に障る。
ポーカーフェイスを知らない顔の筋肉が歯痒くてならない。
そして何より、五月蝿い。
・・・子供は嫌いだ。
だから俺は子供みたいな彼女が嫌いだ。
馬鹿で我儘で五月蝿くて正直で単純で、苛々するんだ。
苛々、するんだ。





















「おはよっ、日吉」
「どうも」
「ム。ちゃんとこっち向く!そして「どうも」じゃなくて「おはよう」と言う!」
「五月蝿いですよ、先輩。朝から迷惑です」
「五月蝿くなんてないもん。それにここは下駄箱。昇降口でお喋りするのは迷惑のうちに入りません。てゆーか挨拶してるだけじゃん」
「それが五月蝿いって言ってるのですが。いい加減絡まないでもらえませんか?先輩のせいで読書時間が削られるのですが」
「まだ駄目!」
「その決定権は先輩にはありません」
「あるの」
「ありません」
「ある」
「ありません」
「あるったらあるの!」
「・・・そうですか」

ほら、またこれだ。
この先輩と知り合ってからというもの、朝の読書時間が削られている。
挨拶なんかに無駄に拘る先輩のせいだ。
そもそも俺は朝練で(賑やか過ぎるテニス部レギュラー陣のせいで)体力的にも精神的にも疲れたんだ。
こんなことで変な労力を使わせないでほしい。
そうは言ってやりたいがそんなこと先輩に話してみろ。
どうせくだらない話題に包括されて終わりだ。
そのまま先輩の話に付き合わねばならなくなるのは瞭然。
だから話さない。
俺は隣を歩きながら今しがた擦れ違った男(恐らく先輩の知り合い)に挨拶しているという先輩が嫌いだし苦手だから必要最低限以外のことでは極力話したくないのだから。
今俺に話し掛けていたくせに、すぐに違う奴に話し掛けるその態度にも、苛々する。
先輩と階段で別れてほっとし、やっと教室に着いて鞄を下ろした所で担任が教室に入ってきた。
今日も、読書ができなかった。










「日吉っ、日吉っ」
「・・・・・・」
「日吉っ」
「・・・・・・」
「このっ」
「・・・何ですか先輩。たった10分しかない休み時間に俺の教室まで来て俺の名前を連呼して俺の読書への集中力を削いだ挙句消しカスを飛ばしてまで俺の注意を引くほどの内容の話なんでしょうね?」
「うん」
「で、何ですか」
「イワ先生が薬指に指輪付けてた!いつも外してるのに。外し忘れたのかな?」

そんなのどうだっていいだろ。
俺は言葉にする代わりに溜息を吐いて顔を背けた。
こうして明らかな態度で示しても先輩は引き下がることなくまだ話す。

「でもね、私がじっと見てたら先生気付いたみたい。手元教卓に隠したんだよ」

先輩は言葉で言わないとわからないタイプだ。
俺の苦手なタイプだ。

「あの教師が指輪付けていようが付けていまいが俺達には関係の無いことでしょう。そんなことをいちいち知らせないで下さい」
「え、だって気になるし。日吉も気になるでしょ?」
「なりません」
「嘘だぁ」
「嘘を吐くメリットがありません」
「えー、私は気になるけどなぁ」

俺は気にならないからもう帰れよ。
そう言いたかったが、どうせこのお花畑脳には通じない。
自分の考えが他人にも例外なく通用すると思ってるような餓鬼なのだから。
チョコレート好きな子供が世界中の皆がチョコレート好きなのだと思っているのと同じだ。
嫌いな人間もいることを最初に考えない、子供なんだ、先輩は。
そうこう考えてる間に自己完結して「バイバイ」とさっさと退散した先輩に、苛々した。
自己完結するくらいならわざわざココに来るな。
時間の無駄だ。
俺は机の隅に落ちていた消しカスを払い落として開きっ放しの教室の扉へ目を向けた。
丁度その時廊下を通りかかった教師(通称イワ先生)の薬指から指輪は消えていた。










「何人の弁当ジロジロ見ているんだ、鳳」
「ああ、ごめんごめん。日吉のご飯、今日も美味しそうだと思ってさ」
「別に、普通だろ」

昼休み、何故か俺はいつも鳳と昼食を取っている。
俺はこの中庭で一人静かに食べたいのだが、鳳が押し掛けてくるのを追い払うのも面倒だからだ。
そもそも宍戸さんとは食べないのか、コイツ。

「あ、鳳君だ。やっほー」
「やっほー、先輩」

ああ、出やがった。

目の前に立ち「やっほー」と手を振る女。
こんな近くにいるのだから手を振る意味などないだろうに。
鳳もいちいち返すな。
調子に乗せるな。
自然と白米を運ぶ箸が機敏になる。

「日吉もやっほー」
「・・・・・・」
「やっほー?」
「・・・・・・」

むぎゅ

「っ!?」
「あはは、日吉の頬柔らかーい」
「先輩・・・」

俺が無視していたら先輩はあろうことか俺の頬を引っ張った。
一睨みしたら、笑いながら離したが。
畜生。
頬が熱い。

「休み時間といい今といい、日吉は私のこと無視し過ぎ。少しは反省しなさいっ」
「無視するのはわざわざ先輩の相手なんかしようと思わないからです。察して下さい」
「え、なんで?私は日吉といろいろお喋りしたいんですけどー」
「そうですか。俺は極力話したくないのですが」
「だからなんでってば」
「面倒です」
「うわっ、出たよ、今時の子供がよく使う言葉。実は私と話すの楽しいくせに」
「随分とおめでたい頭をしているんですね。何の幻想を見ているんですか、貴女は」
「ふふっ」

先輩と不毛な言い争いをしていたら、急に目の前の鳳が笑い出した。

「何だ鳳。急に笑うな、気色悪い」
「ああ、ごめんごめん。何だか2人があまりに仲良くて、さ」

・・・は?

「仲が良いって、誰と誰のことを言ってる?」
「勿論、日吉と先輩だよ」
「遂に目が腐ったか、鳳」

鳳は「酷い言い方するねー」とまだニヤニヤと笑っている。
そして先輩もまたニヤニヤと笑った。
2人の笑顔は、少し似てる。

「えへへ、私と日吉って仲良いんだってさー」
「仲良くありません」
「照れない照れない」
「照れてないです。先輩の目は鳳以上に腐っているんですね」
「腐ってませーん。正常です」

そして先輩はニヤニヤ笑いのまま俺の横を通り過ぎ、女友達の元へ行った。
どうやら食堂にデザートを買いに行くらしい。

「でもホント、日吉と先輩って仲良いよね」

鳳の言葉は無視して箸を動かした。
先輩に握られた右頬は、まだ熱い。










「あ、日吉発見!」
「・・・・・・」
「また無視?」

放課後、今朝と同じく先輩に昇降口で捕まった。

「一緒に帰ろう?」
「嫌です」
「うわ、即答ー。でも一緒に帰るから」

嫌だと言ったのですが、と言おうと口を開けた時には既に先輩は自分の下駄箱に向かっていた。
これは無理矢理にでも一緒に帰らされる。
溜息が零れた。










「でね、その飛ぶ豚は言うわけですよ!?「3分間待ってやる」って。そしたらオームが止まったの!・・・って、日吉聞いてる?」
「すみません先輩。俺にはそれが「紅の豚」なのか「天空の城ラピュタ」なのか「風の谷のナウシカ」なのかよくわからないのですが」
「最初に言ったじゃん、「紅の城ナウシカ」についてお話するって」
「それが余りに突然過ぎて全く理解できていないのですが。そもそもその前に話してた「忍足侑士眼鏡失踪事件」の結末はどうなったんですか?ぶっちゃけ忍足さんの眼鏡が無くなったってことしかまだ話してないじゃないですか。そしてそれがどうして「紅の城ナウシカ」の話になるのか説明してください」
「いや、何か急に思い立ったから。てゆーか日吉、ちゃんと私の話聞いててくれたんだね。ずっと黙ってたから聞いてないのかと思った」
「聞こえるんだからしょうがないじゃないですか。先輩の声があまりに煩わしくて逆に耳に残るんですよ」
「またまたそんな嘘言っちゃってー。・・・あ!」
「・・・何ですか。本当に騒々しい先輩ですね」
「日吉、コンビニがある!」
「はい、ありますね。って何今初めて知ったみたいな言い方してるんですか。先輩もいつもここ通って登下校してるんでしょう?」
「いや、コンビニがあるからコンビニに入ろうよと言いたかったのですよ」
「はい?」
「日吉、その「何言ってんだコイツ」っていう目は何?」
「そのままの意味です。何言ってるんですか先輩」
「コンビニがあればコンビニに入らねばならないのですよ」
「意味がわかりません。まあコンビニに入るならご自由に。俺は帰ります」
「日吉も一緒に入るの!」

ぐい、と先輩に腕を引かれた。
一瞬バランスを崩したがなんとか立て直す。
先輩はそんな俺の様子に気付くことなくずんずんと意気揚々にコンビニに俺を連れ込んだ。

「いらっしゃいませー」

ああ、クソ。
なんだって俺はこの人の腕を振り払わないんだ。
振り払おうと思えばいとも簡単に振り払えるのに。

「日吉、アイス食べよう?豪華にハーゲンダッツね!」

アイスの前で俺の腕は解放された。
捕まっていた右腕はぽかぽかしていて、つい撫でてしまった。

「私はチョコ。日吉は何味?」
「買うなんて一言も言ってませんけど」
「金欠?」
「違います。俺は先輩じゃありませんから」
「え、なんで私が金欠だってわかったの!?エスパー?」
「・・・なんで金欠なのにハーゲンダッツ買おうとしてるんですか」
「食べたいから」

思ったら即行動なのだろう。
呆れる。
馬鹿みたいだ。
そうやって思うが侭に振舞った結果金欠になって、今もハーゲンダッツ買って更に金欠になろうとしている。
見通しを立てるとかできないのか、この人は。
また溜息が零れた。

「で、日吉は何味?」
「・・・抹茶で」
「はーい」

どうせこの人は引き下がらないから、適当に付き合ってさっさと終わらす。
それがこの場合における最も効率的かつ迅速な判断だ。
だがしかし、先輩はこれだけで終わるような人間ではなかった。
「私が先輩だから奢ってあげるね!」とチョコ味と抹茶味のハーゲンダッツを持って軽くスキップしながらレジに向かった先輩は、今レジで明らかに動揺している。
おろおろとレジの前で挙動不審になり、言ってしまえば不審者だ。
何をしているんだ、と苛々しながら俺はレジに向かった。

「先輩、奢るならさっさと奢ってください」
「ひ、日吉~」

レジにいる不審者の背中に声を掛ける。
振り返った不審者は今にも泣きそうな顔をしていた。

「・・・どうしたんですか」

先輩は財布を振りながら答えた。

「1円、足りないの・・・」

俺はその言葉を理解するまで数秒を要した。
そして理解し終わりハッと気付けば目下には目を若干潤ませて「どうしようどうしよう」とその場でわたわたし出す先輩、いや、不審者。
レジを挟んで向こう側には困り顔の好青年。

「1円くらい俺が出しますよ」

と、財布を取り出した手を、掴まれた。
先輩に。
今日で二度目だ、この人に掴まれたのは。

「私が先輩だから奢るのー」
「1円足りないんでしょう?」
「でも、先輩に二言はないって言うし」
「言いません。というかレジの人が困ってるじゃないですか。さっさと1円払いますよ」
「んー、駄目ー。絶対私が奢るんだから!」
「あのですね、」
「だからガリガリ君に変えよう?」
「面倒です。もうカップにシール付けてもらっているんですし」
「でも、」

本当に強情で頑固で、苛々して、

「奢るのなんていつだって出来るでしょう?」

と言って俺は先輩の手を振り切って1円をレジに置いた。
レジの好青年はほっとした様子でレシートとハーゲンダッツを渡してくれた。
俺はポカンと阿呆面を晒している先輩の腕を引いてコンビニをあとにした。
先輩に掴まれていた腕と先輩を掴む手が、異様に熱くて強張っていて、若干震えていた。





















俺は、本当は気付いていた。
先輩と仲が良いことなんて、とっくの昔に。
あんなに話す女子は先輩以外にいないのだ。
そしてその理由を俺はやはりとっくの昔に気付いていた。

馬鹿で我儘で五月蝿くて正直で単純な、子供っぽい先輩を、俺は好いている。

先輩といると苛々するのは先輩が俺の嫌いな子供みたいな性格だからではないのだ。
本当は、本当は。
俺に向けた笑顔を他の奴にも向けていることが気に食わなくて。
話し掛けてきたと思ったら俺と会話をずっと続けないのが気に食わなくて。
簡単に俺に触れてきて簡単に俺から離れるのが気に食わなくて。
すぐに俺の目の届かない所に行くのが気に食わなくて。
妙に先輩面して俺をただの後輩のようにしか扱わないのが気に食わなくて。
俺が先輩の特別な存在でないことが気に食わない。
だから苛々するんだ、先輩がいると、それだけで。

正直言うと、この好意に気付いた時戸惑った。
何故なら先輩は俺の嫌いなタイプであり苦手なタイプだったからだ。
俺に最初に話し掛けた言葉が「ねぇねぇ、日吉は知ってる?金魚は世話をする人間に恋をするから赤いんだよ」とかいうぶっ飛んだものだったし。
あの時は本気で関わりたくないと思ったものだ。
それが、今はこれだ。
いつも先輩に話し掛けられるのを今か今かと待っている。
本を開いても目は文字を追うが先輩が来ないか気になって頭に入らない。
馬鹿じゃないのかと思うような発言も可愛らしく思えてしまう。
本当に我ながら情けない有り様だ。
ちょっと知り合って、少し話しただけでこんなにも好きになるなんて。
切欠なんて特になかった。
いつの間に好きになっていた。
それだけだ。










だから、先輩の「また一緒にコンビニね。そしたら今度こそ私が奢るから」という言葉に一瞬頬が緩んだ。
また一緒に帰れる、また一緒に過ごせる。
いわゆる下校デートというものを出来ることが嬉しかった。

「また明日ね、日吉」
「明日会えないことを祈ってますよ、先輩」

そんなの嘘だ。
俺は朝練が長引こうが早く終わろうが絶対に昇降口に行く時間を変えることはない。
先輩に会いたいから。
そう素直に言えないのは、俺の性格上の問題であり今までこう接してきたからだ。
俺がこういう言い方しか出来ないことは先輩もわかってるだろうし、それを楽しんでいる、都合よく解釈してもいいなら、気に入ってくれてるのだと思う。
「またそうやって言うー」と笑ってくれているのだから。





















だから、驚いた。

「日吉は私のこと嫌ってたりするのかな?」

そんなこと、言われたから。
そう言われたのは約束通りコンビニで今度こそ先輩にアイス(ガリガリ君)を奢ってもらった帰り道だった。

「・・・なんでそんなこと聞くんですか?」

冷静を装ったが内心は「なんでそんなこと聞くんだよ!?」と荒れていた。
俺は口にこそ出してはいたが、態度で先輩を拒否したことはなく、こうして一緒に帰ってる時点で嫌っているはずないのだ。
嫌っているなら、無視してとっくの昔にひとりで帰ってる。
そういうのがわからない先輩に苛々した。
俺のこと、わかれよ。

「いや、なんか日吉さ、私にキツイから」

苛々して頭を掻く。

「キツイって、俺はキツくしてるつもりは毛頭ありません。これが俺の自然体です」
「本当?」
「当然です」
「本当に本当?」

不安に満ちた顔でそう問う先輩に、苛々苛々。
わかれよ。

「先輩は確かに子供っぽくて我儘で正直俺の嫌いで苦手なタイプですよ。でもなんか知らないけど先輩自身のことは嫌いでも苦手でもありません。不思議なことに。大体嫌ってたら一緒に帰ったりなんかしませんよ。それくらい気付いてください。この鈍感」

早口でそう告げて、早足でそこから立ち去る。
しかし、腕が引っ張られて先輩の傍から立ち去ることは許されなかった。
振り払えるのに振り払えない、先輩の手。

「私のこと嫌ってないってことだよね?」

目を見開いて、いかにも驚いてますと言っているような顔を向けられた。
「そう言ったでしょう。聞いてなかったんですか?」と小さく呟けば、先輩の顔は晴れやかなものになった。

「ちゃんと聞こえたよ!」

そう笑って俺の腕を解放してスキップで俺の横を通り過ぎる先輩。

「そっかぁ、日吉は私のこと好きなんだぁ」
「・・・好きとは、一言も言ってませんけど」

ぎゅっと先輩に掴まれた腕を握って、俺は先輩の後ろを歩いた。

「日吉ー」
「何ですか?」
「公園でケンケンパーしてから帰ろうよ!」
「絶対やりません」

なんでこんな子供みたいな女を好きになったのかはわからない。
けど、それでも俺は先輩が好きだ。

「日吉」
「はい?」
「公園に行くついでに素敵なお話、してあげるねー」
「また「紅の城ナウシカ」ですか?」
「ぶっぶー。今回は生物系だよん」

そうして俺に蛙の話をし始めた笑顔の先輩を横目に、俺の口端は少しだけ上がっていた。
先輩の笑顔と声は、案外タイプだったりする。


1周年と5万打リクエスト企画より。

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