世界が反転しない




私はを愛している。
抱き締めたいし、口付けたい。
しかし、なぜだか私の手足はそのように動いてくれない。
抱き締めようとすれば、殴ってしまう。
口付けようとすれば、蹴ってしまう。
「愛している」と言おうとすれば、「死ね」と言ってしまう。
なぜだろう。
きっと私はおかしいのだ。
脳からの伝達がどこかで捩れ歪み、間違った伝達になってしまっている。

、貴様など居なければ良かった!!」

違う。
こんなこと言いたいのではない。
本当はずっと私の傍に居てほしい。

「和仁様・・・」
「黙れ!」

違う。
もっと私の名を呼んでほしい。


ああ、どうして私はをこんなにも傷付けているのだろうか。


殴り、蹴り、の体は青痣だらけになった。
横たわるの顔は腫れ上がり、繊細な顔立ちは見るに耐えないものになってしまっている。
切れた唇の赤が生々しい。
は気を失ったようだ。
私は膝を地に着け、そっと手を伸ばす。

殴るな、殴るな。

必死に自分の手に命令した。
すると今度はすんなりとこの手は命令を受け入れ、の唇の血を優しく拭った。
なぜ先程も殴るなという命令を受け入れてくれなかったのだろう。
わからない。
私は恐る恐る指先をの髪に宛がった。
の髪は柔らかい。
自然と目が細まった。

、」

愛していると続けようとした唇は、動かない。
なぜだか私はに愛していると告げられない。
まるで何かの呪いのように。
私は歯痒く、唇を噛み締めた。
同時にの髪を握ってしまった。
慌てて手を引っ込める。

、私は、」

ああ、やはり言えない。

私はまた手を伸ばす。
指先がの腫れ上がった頬に掠った。

「うっ・・・」

の口から呻き声が上がった。
目が覚めたのだろうか。
じっとを見つめていればピクピクと瞼が動く。
もうすぐは目覚める。
そしたらきっとまた私はを罵倒し暴力を振るってしまうだろう。
それが悲しい。
またにこのような傷を負わせてしまうのかと思うだけで、胸が苦しくなる。
どうしたら私はを優しく愛せるようになるのだろうか。

「か、ずひ と 、・・ ・さ ま、・・・?」

は右目だけ開き、私を見た。
左目は腫れており開くことができないのだ。

「気安く、私の名を呼ぶでない・・・!」

立ち上がり、の腹部目掛けて足を払った。

「ぐ、はっ・・・」

は呻き声を上げたかと思ったら今度は咳込んだ。

「ごほっ、ごほっ」

苦しそうだ。
しかし私はに謝ることもせず、ただ見下ろしていた。
本当は泣いて詫び、何度も愛していると囁きたいのに。
これはやはり呪いの類なのだろうか。

「はあっ・・・、はあっ・・・」

腹部への痛みは治まってきたのか、咳はなくなり荒い呼吸を繰り返す

、わ、私・・・私は、」

私は何か言わねばと口を開いたが、やはり何も言えなかった。
罵声を浴びせないように気を付けるのに精一杯だったのだ。
けれど私の努力虚しく、私は絶対に言いたくなかったことを言ってしまう。



「私は、貴様など嫌いだ・・・!!」



「死ね」「消えろ」、数々の罵声を口にしてきたが、私は「嫌い」とだけは言ったことがなかった。
「死ね」などの言葉の方が酷いのに、なぜだか私には「嫌い」という言葉の方が言いたくなかったのだ。
言ってしまったら、

「・・・そう、ですよね。和仁様は、私などお嫌いに決まっていますよね。でなければこんな仕打ち・・・!」

言ってしまったら、本当にが消えてしまう気がしてならなくて。

「私はずっと和仁様を見てきました。だから、ただ愛し方を知らないだけなのだと思っていました。だって、和仁様はいつも私を殴る時辛そうな瞳をなさるから・・・。まるで助けを乞いているかのように私を見つめるんです。だから私は貴方を救わねばと思いました。いつか殴る以外の愛情表現を教えなければと。でも、申し訳ありません。私は所詮下賎の民。そんな大層なことできるはずなかったのです。死ねとも消えろとも言われましたが、嫌いという言葉にだけは私は耐えられそうにもありません・・・申し訳ありません、和仁様。貴方のその言葉がたとえ愛情表現を知らぬが故のお言葉だったとしても、その言葉は鋭い刃となり、私の心ノ臓を抉りました。駄目です。私にはもう貴方を救う気力はございません。恐らく体力も。ですから、申し訳ありません。私はもう貴方の傍には居られません」

は、優しかった。
いつでも私を温かく見守り、その身を捧げて私を愛してくれていた。
私が殴る度「大丈夫」だと微笑んでくれていた。
その微笑みにさえ、私は足を向けたというのに。





「愛してる、



私が呪いから解放され、やっとそれを言えた時には、もうはどこかに去ってしまっていた。


遙かの突発お兄ちゃん短編企画より。

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