彼岸を看取る




幼い頃から重盛様に仕え続けて二十余年。
私の重盛様への思いは好意も尊敬も凌駕して崇高になった。
盲目的だが、私は重盛様が倒れることなど有り得ないと思っていたし、死など重盛様には縁遠いものだったのだ。
そう、私は重盛様が一生君臨し続けるのだと根拠なく信じていた。
しかし、当然だが重盛様は人の子であった。
どんなに戦功を上げていても、重盛様は病魔には勝てなかった。
雄々しく堂々と背筋を伸ばし君臨していた重盛様は、今は床に伏せている。

、すまない」

重盛様は最近、その言葉をよく口にする。

「いつも何を謝っているのですか?」
「いや、何でもない」

このやり取りも最近では恒例となったものだ。

、覚えているか?」

重盛様は天井を見つめていた。
その目はひどく穏やかで、どこか老成した雰囲気だった。

「私が昔、稽古で怪我をしたことがあったな」
「重盛様は稽古でいつも怪我をしておりました」
「ああ、そうだな。そうだったな」

重盛様は昔を懐かしんでいるようだった。
私は香を焚く手を止め、重盛様の昔話に付き合うことにする。

「では、その数多の怪我の記憶からどうか一つ思い出してくれ」
「努力します」
がその時、初めて私を怒鳴った。いや、君が怒鳴ったのはあの時一度きりか」
「・・・覚えております」

忘れるはずがなかった。
それは私の人生の汚点でもあるからだ。
重盛様に怒鳴り散らすなど、よくあの時の私は処罰されなかったものだ。

「あの時は驚いたよ」
「あの時は、申し訳ありませんでした」

頭を下げたが、「よい」と手で制される。

「あれは私が悪かった」

あれ、とは私を怒鳴らせた事件のことだ。
今思えば些細なことだった。
いつものように重盛様は剣の稽古に精を出し、いつものように無理をして、いつものように怪我をなさっただけだった。
ただ、その怪我がいつもより深かっただけなのだ。
幼い私は言う。

『無理はなさらないで下さい』

若い重盛様は言う。

『無理などしていない。ただ父上のお力になりたいのだ。その為に努力しているのだ』

少し苛立った私は言う。

『その努力の怪我でいざという時、清盛様のお力になれなかったらどうするのです?』

少しムキになった重盛様は言う。

『私はそのような腑抜けではない。それにいざという時は怪我など関係なく飛び出せばいいのだ。体を投げ出すのは気力さえあれば出来る』

更に腹を立てた私は言う。

『それは、身を呈するということですか・・・?』

誇らしげに重盛様は言う。

『それが武士だ』


私は悲しくなり、叫ぶ。


『なりません!!そのようなこと、このが許しません!』

重盛様はいきなり怒鳴り始めた私に動揺しつつ言い返す。

に許さない権限などないであろう!?私は平家の人間としてこの命を投げ出す所存で、』
『なりません!重盛様は死すべき方ではありません!!生きるのです!生きて平家に尽くすお方。それが重盛様です!』
『なぜ、そのように考える』

冷静さを欠いていた私は恥じらいなくこう言った。



『私が重盛様に死んでほしくないからですっ!!』



思い出すだけで顔が熱くなる。

「あの時は本当に驚いたな」

重盛様は乾いた笑みを天井に向かって零した。

「忘れてくださるとありがたいのですが」
「いや、忘れない」
「それは、困りますね」
「困る?私は困らない。のあの言葉・・・嬉しかったからな」

重盛様の笑みは先程の可笑しさによるものからもっと柔らかいものになっていた。

「私は死を恐れてはいなかった。しかし、のあの言葉でふと死の恐ろしさを知った。それと同時に生の素晴らしさもだ。私の死を望まない者がいることに胸を打たれ、残される者が悲しむことに愚かだがその時初めて気付いたのだ」

重盛様はそう言って閉口した。
私は静かに香を焚き始める。
なぜ今このような昔話をなさったのか、わかってしまいそうで嫌だった。








香を焚き終え、重盛様のお傍にただ控えていたら重盛様が閉ざしていた口を開いた。

「何でしょうか?」

重盛様はやはり天井を見つめていた。



「私はもうすぐ死ぬ」



重盛様の口調は床に伏せているというのに、弱さを感じさせない、意志の篭ったものだった。

は私に死んでほしくないと言った。しかし私は死ぬ。・・・すまない」

だから最近よく詫びていたのか、と私は一人納得した。

「または私を怒鳴るか?」
「いえ」
「ならどうする」
「・・・静かに見届けさせていただきます」
「そうか」
「はい」

日に日に痩せていく重盛様を見て、覚悟は決めてきた。
だから私は冷静に対処できたのだろう。
ただ、手は震えていたが。



重盛様の目が細くなる。

「何でしょうか?」

先程と同じ返答。
どこか可笑しかった。



「私が死ぬのは、今も嫌か?」



香の匂いが鼻につく。
涙の塩辛さを思い出させる匂いだ。

「・・・嫌、です。重盛様が死ぬのは、嫌ですっ・・・」

震えていたのは手だけではなかった。
声も、体も震えていた。
そんな私とは対照的に重盛様は微動だにしない。

「そうか、嫌か。・・・嬉しいな」

重盛様は殆ど閉じかけた口から息のような声を発した。
目はもう閉じていた。

「重盛、様」

私の呼び声に、重盛様は応えない。


遙かの突発お兄ちゃん短編企画より。

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