葬り去ったインディゴの空
「・・・兄上、お加減は如何ですか?」
「敦盛。そうですね、病ではない分、辛いですね」
「そう、ですか。あの・・・」
「どうしました?敦盛」
「兄上に知らせなければいけないことが」
「何ですか?」
「殿が、」
「、が・・・?」
「蘇りました」
その瞬間、感じてはいけないものを感じた。
―――歓喜だ。
「が怨霊になったというわけですか?」
声が震えたのは恐らく歓喜故だ。
「伯父上は、これで兄上も元気になるだろう、と・・・」
「そうですか。・・・あとで会いに行きます。は今どこに?」
「離れで眠っています」
「わかりました」
敦盛は私の冷静な様子にどう接したらいいかわからないらしく、口を開けたり閉じたりして、最終的には「では、失礼します兄上」と呟いて部屋を出た。
私は笑顔でそれに応じたが、恐らく敦盛はその笑顔が虚構であることに気付いたのだろう。
一瞬、目を伏せたから。
「・・・」
私は呼吸をしただけのつもりでいたが、息と共にの名も口から出た。
何か吐き出しておかなければ頭の中が整理できないのだ。
は私の妻であった。
過去形なのは、がもう亡き人だからだ。
が息を引き取ったのはつい先日のことだった。
私は悲しみに打ちひしがれ、こうして横になることしかできなくなった。
そうしてこの数日間、私は布団の中で何度も願った。
『帰ってきてくれ、』
それは、現実になった。
「申し訳ありません、。しかし願わずにはいられなかった」
私が願ったからの魂は戻ってきてしまったのだろうか。
だとしたら、私はどう償えばいいのだろう。
私や敦盛、維盛殿と同じように呪縛される存在にしてしまったのだ。
をそのような可哀相な存在にしてしまった。
清らかで美しいを怨念の塊にしてしまった。
償いきれる罪ではない。
しかも私は喜んでしまった。
曲がりなりにもは帰ってきたのだから。
「・・・」
布団を引き千切れるのではないかというくらい強く握り、起き上がる。
帰ってきたに会いに行こう。
「・・・・・・」
離れの前に立った。
人払いでもしてあるのか、周りに人はいない。
私は戸を開こうと手を伸ばす。
しかしその手が戸を開くことはなかった。
戸に触れて、動かない。
手が震える。
私は恐ろしいのだ。
この戸を開け、と再会することが恐いのだ。
の姿が化け物になっていたら?
自身が変わっていたら?
私への愛を忘れていたら?
自分をこんな存在にしたと私を恨んでいたら?
不安が恐怖となり、私の中を駆け登る。
やはり私は戸を開けない。
私が離れの前で立ち往生するようになって数日が経過した。
持て余された歓喜は徐々に私を前向きにしてくれた。
に再び会える。
に再び触れられる。
と再び幸せな日々を過ごせる。
恐怖を踏み倒した希望が私を蝕むのだ。
そして私は、戸を、
「ギィヤアアアアア!!!」
開けようとした瞬間だった。
離れの中から獣の呻きが。
「ギャアアアアアア!!!」
耳をつんざく叫び声に顔を顰める。
私の中を順調に侵攻していた希望は怒りに反転した。
この声の主が、―――?
ふつふつと沸き上がる怒りに身を任せ、戸を開けた。
すると中では獣でありながら獣でないものが目を光らせ唸っていた。
黒い影が支配する空間で、その目は宙に浮く球にも見える。
これが、―――?
離れが震えた。
であったはずの獣の尾が大きく振られ、離れの壁に当たったのだ。
「ギュウイアアアア!!!」
獣が呻く。
その呻き声だけで離れがひしめく。
こんな獣が、だと―――?
私は怒りの海に沈んでいく。
こんな汚い獣が。
こんなふうに呻くのが。
こんな化け物が、。
ふざけるな。
はどこだ。
私はに会いたい。
に帰ってきてほしいと願った。
なのになぜがいない。
なぜこんな化け物がの代わりにいる。
そうか、コイツか。
この化け物がを喰ったのか。
怒りの海底に達した気がした。
私はゆっくり目を閉じ、怒りに震える体を・・・解放する。
私が怒りの海に浮かび上がった時、足元には木の残骸とそれの下敷きになっている一人の女性がいた。
「?」
全壊した離れ。
佇む自分。
倒れる。
私は一瞬で何が起きたのか理解した。
「・・・っ、!!!」
私は膝をつき、を抱き起こす。
の名を何回も叫ぶように呼ぶが、は目覚めない。
「、起きてください。私は貴女に会いたかったのです。他でもない、貴女に」
怨霊の身に涙が流れることはなかった。
こんなにも泣きたいのに、泣けない。
「・・・」
を強く抱きしめる。
するとの足が灰のように消えていった。
それに気付いた時には、もうの形は失われ・・・は消えていた。
「っ」
残された灰のようなものに手を這わすが、その灰も風に乗って消えていく。
これで二度目だ、を失うのは。
一度目、は病に殺された。
二度目、は私に殺された。
ああ、。
帰ってきて。