おまけの話




やっとだった。
やっと自分を許せて、を迎えに行けると思った。

「というわけで、に告白しようと思うんすけど」
「おお、やっとか」

缶ビール片手に、トムさんは少しびっくりしたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに破顔した。
トムさんは、俺との関係を知っている。
というのも、この仕事を始めてすぐに、トムさんが俺のストーカーをしているに目敏く気付き、俺に聞いてきたからだ。
正直なところ、について話せる人っていうのは全然いなくて、トムさんほどの信頼できる人に相談できるっていうのはとてもありがたく、俺はとの出会いから恋に至るまで、そして今現在は俺のせいでを待たせているということまでを馬鹿正直に話した。
トムさんは何も言わずに聞いてくれて、「いつかちゃんと、迎えに行けるといいな」と微笑んでくれたのだ。

「しかし、長かったよなぁ」
「そうっすね…」

もう何年になるだろう。
はずっと俺をストーカーし続けて、俺はずっとを待たせ続けて。

「…ふっ、ははっ」

突然、トムさんが笑い始めた。
何かと思えば、「だってよぉ」と笑いながら、俺を指差す。

「俺とさんが話したときのお前の顔、今思い出しても笑えるべ」
「ちょ、あの時の話は!」
「いやー、あそこまで不安げな顔されるとはなー」
「だぁー!止めてくださいって!」

トムさんが言っているのは、俺がトムさんにとのことを打ち明けた数日後の出来事だ。
俺が飲み物を買いに行っている間、トムさんはなんとに話し掛けていたのだ。
それを見た俺は焦りに焦り、大切に持っていたトムさんの分の缶コーヒーを思いっきり潰してしまった。
もしトムさんがに惚れたらとか、がトムさんに惚れたらとか、そんなことを考えてしまって、俺はおろおろするばかり。
少ししてトムさんはとの話を終えたらしく、俺のところに来て一言、「静雄は本当にさんのことが好きなのな」。
そして俺が潰した缶コーヒーを見て苦笑して、更に一言、「心配すんなって、さんはお前の事、ずっと好きでいるよ」。
不覚にも泣きそうになったのを覚えている。

のことは信用してたし、俺から離れないでいてくれるってちゃんとわかってたんすよ。でも、俺から離れていく可能性は全くのゼロじゃないし」
「まあ、物事に絶対はないっつしーな。女心は秋の空ってな」
「だから、その」
「ん?」

トムさんの生温かい目に、少し恥ずかしくなる。
純粋に俺の覚悟を喜んでくれているとわかるからだ。
でも俺はその覚悟の裏で、ある感情を持て余していた。

「ふ、不安なんすよ…」
「はあ!?」

ガンッ、と缶ビールを勢いよく卓袱台に叩きつけたのはトムさんだ。

「今までずっと、と両思いでいることが当然だったんすけど、いざ告白しようと思ったら、なんか」
「あー、なんかわかるわ」
「っす…」

不安の種は爆発的に増えていって、ありとあらゆるネガティブな可能性ばかりが頭の中を占める。
を信じていないわけではないのだが、俺に愛想を尽かすことがあっても可笑しくはない。
というか、普通は愛想を尽かすだろうし。
あと、は大学に進学、一方で俺は高卒、しかも警察に世話になったこともある。
細かいことを考えるのは苦手なはずなのに、どうしてか今になっていろんなことが気になって仕方がなかった。
に拒絶される恐怖が、俺の背中を這い上がる。

「もしも、に受け入れてもらえなかったらと思うと、俺、」

それ以上は言葉にできなかった。
リアルに想像してしまって、言葉が詰まったのだ。

「静雄」

そんな俺を見かねたのか、トムさんが父性すら垣間見える、優しい眼差しを真っ直ぐに向けてくれた。

「告白ってーのは、そういうもんだ」

舌が渇いて、え、という呟きも声にならなかった。

「告白するとき、怖くねー奴なんていねーよ。普通に、皆怖がりながら告白すんだよ、勇気を振り絞ってな」

トムさんはそう言うと、缶ビールをぐいっと飲み干した。
俺もつられるように手元の缶ビールに口を付ける。
胸につっかえていたものがなくなった気がした。

「ふ、ふられたら、ヤケ酒付き合ってください」
「おう、いいぜ。でもきっと大丈夫だよ、静雄。さんはずーっとお前のこと好きだからな」
「そうですけど…」
「…ここを肯定するくせに、告白は怖いっつーのも面白いけどな」

そのままトムさんは飲み続け、最終的に俺はトムさんを介抱して眠りについた。
うとうとと自分のアパートの見慣れた天井を見上げながら、明日は告白しようと決意を改める。
はどんな顔をするだろうか、どんな声で俺の告白に答えてくれるだろうか。
思い返せば、この数年間での事を思わない日はなかった。
毎日毎日、を思っては心が安らいだ。
たまにくだらない嫉妬を抱いて不機嫌になることもあったけれど。
ああ、俺は本当にのことを、ずっと。










朝、目覚めると隣でトムさんが気持ち良さそうに眠っていた。
今日の仕事は午後からで、多分トムさんは午前中に起きて自分の家に戻るというプランを立てて、俺の家に泊まることにしたに違いない。

「トムさーん、朝っす」
「ん、おー…」

返事はしたものの、すぐに寝息をたてるトムさんに俺は思わず溜息を吐く。
今日は俺の大切な告白の日だというのに、驚くくらいいつもどおりだ。
でもそれがありがたかったりするのだから、やっぱりトムさんはすごい。

「俺、シャワー浴びてくるんでその間に起きといてくださいよ」
「わかってるわかってる」

むにゃむにゃとした声で言われても信憑性はないのだが、とりあえずその言葉を信じてシャワールームに向かう。
に告白、に告白、と脳内で何度も繰り返す。
上手くいったら、キス、とかしちゃうんじゃないか。
かつて学校の屋上でとキスした時のことを思い出す。
あのときが幸せの絶頂だった気がするが、それ以上の幸せが俺を待っているんだ。
もちろん、告白が上手くいったらだが。
そう、告白してが頷いてくれたら、とやっとキスができるんだ。
告白する時は花束とか渡した方がいいのだろうか。
いや、俺の気持ちをもっとちゃんと伝えるならそれこそ指輪とか。
そんなことを考えていたら、気付けば俺はいつも以上に丹念に体を洗っていた。










丁寧に洗いすぎて逆に痛んだかもしれない髪を拭きながらリビングに戻るとトムさんはどうやら起きてくれたらしく、布団を畳んでいた。

「あ、いいっすよ、そんなことしなくて!」

慌ててトムさんを制止したが、トムさんは「お世話になったからこんぐらいさせろー」と言って、そのまま布団を綺麗に片付けてしまった。

「しかし、長かったなー、風呂。勝負の日だもんな?」

折角だからとトムさんと一緒に朝食を取っていると、トムさんは意地の悪いことを言った。

「べべ、別に!!普通っす!!!長くないです!」

図星を突かれて、思わず否定したが、トムさんにはどうやらお見通しなようで「女と会うならいい匂いでいたいもんな、わかるわかる」なんて言っている。
何だか照れ臭くて、牛乳を飲むことに集中する。
トムさんがフッと笑ったのがわかった。
トムさんの顔を見てはいなかったが、それは多分すごく優しい笑みだったんだとわかる。
そういえば、とトムさんは似てるかもしれないと思ったときだった。

「指輪でも買うのか?」
「ちょ、トムさん!」
「ははっ」

…トムさんには敵わない。










朝食を終えたトムさんを家から送り出し、バーテン服に着替える。
バーテンの仕事をやっていた頃、が何回か店に来たことがある。
正直、女性客がひとりで来るのなんてよくあることなのだが、がひとりで来ると気が気でなかった。
変なナンパ野郎が近付かないかとか、夜道は危ないから逆に俺がストーカーして見守ってやろうとか(実際にそれはやった)。
とにかく、俺がバーテンをやっていてがカウンター席に座ったあのときは、多分高校以来で最も距離が近かった。
それだけで嬉しくて舞い上がって、緊張もした。
もそれは同じだったみたいで、はにかんだ顔には照れている様子がありありと見えた。
夜のバーだというのに、俺との間にあったのは甘酸っぱい空気だったのをよく覚えている。
そしてあのとき以降、あれ以上近付いたことはない。
話したのも、あのときが最後だ。
でも今日は違う。
高校の時と同じくらいの距離を取り戻して、それを“当たり前”にするんだ。
今までの、トムさんから言わせれば“特殊”で、新羅から言わせれば“奇怪”な距離を終わらせる。
俺がの元に行って、言うんだ。
ずっと言いたかった告白を。










アクセサリーショップや花屋を覗いてみたが、結局何も買わずに昼を迎えた。
今日は世間的には休日なので、は昼から俺のストーカーを開始する。
平日は普通に仕事をしているみたいで、仕事終わりにストーカーしに来るのだが、さすがに毎日というわけにはいかないらしい。
平日の5日間よりも休日の2日間の方が、ストーカーしている総時間は長いだろう。
ちなみに俺は、休日は必ず昼に、あの思い出の公園に行く。
それは俺との待ち合わせだった。
生活リズムの違いから、家の前で待ち伏せることはもうできないし、だからといって毎日俺の姿を探して池袋を歩き回るのは大変だ(俺がキレて自販機を投げたりすればすぐにわかるだろうが)。
平日の夕方以降は俺の仕事の関係もあって、公園には来れないが、休日の昼なら確実に来れる。
公園のベンチに座ってから少し経つと、公園の入り口にひとりの女が立つのが見えた。
高校時代の思い出と照らし合わせると、やはり少し大人っぽくなったは、高校時代と寸分も変わらない笑みを浮かべた。
そうやって、俺はいつもと公園で待ち合わせをして、目が合えば今日もストーカーをよろしくと心の中で挨拶をして、遠く離れた彼女に笑いかける。
それがいつもの休日だ。
でも、今日は違った。

「…っし」

気合いを入れて、ベンチからゆっくりと立ち上がる。
俺は視線の先にいる彼女をしっかりと確認して、一歩を踏み出した。
に一歩近付くごとに、心拍数が早くなる。
俺を好きになってくれたという女に、俺は今も懲りずに恋をしているのだ。
彼女は俺の手を取ってくれるだろうか、なんて不安を抱えながら、一方で取ってくれたらいいななんて期待もして。
の前に立つと、はどこか緊張した面持ちで俺を見上げた。
この時を、一体どれだけ待ち望んだことだろう。
愛しくて愛しくて、絶対に大切にしたい彼女に、俺は手を差し出す。
花束も指輪も今は要らない。

「俺はお前に―――」

ああ、やっとお前を、近くで愛せる。


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