セレブな彼と




ああ、どうしてこんな状況になってしまったのか。
私は面倒事は嫌いなんだ。
ただ卓也君といちゃいちゃできていれば、変わり映えしない日々でもいいのに。
なんでこんなビッグイベントが起きるんだ。

「どうかしたのか、

目の前で優雅に紅茶を啜るのは、卯都木悠人さん。
私のひとつ年上で、超セレブ。
庶民の中の庶民である私からしたら雲の上の存在だ。
しかしながら、わけあって面識があり、まあ挨拶程度は交わす仲だ。
お茶を一緒にするような関係ではないはずなのだが、私と悠人さんは今こうしてお洒落なカフェでお茶をご一緒している。

「私、今日あんまり持ち合わせないんですけど」

私はメニューをちゃんとは見れず、悠人さんに「アッサムでいいか?」と聞かれ頷いただけだったのだが、このお店は絶対に高いと自信を持って言える。
マフラーと手袋を衝動買いしたばかりなので、お財布の中身は今ひどく寂しいことになっているのだ。
そんな私に悠人さんは涼しげに笑った。

「それなら心配するな。俺が払うに決まっている」

はい、言うと思いました。

「それは、悪いんで、遠慮します…」
「遠慮なんてするな。俺が無理矢理誘ったんだからな。払わせてくれ」
「うっ、ああ、じゃあ、すみません。お願いします」
「ああ、任せろ」

もうこれは言っても聞かないと判断した。
ああ、もう罪悪感が半端じゃない。
でも悠人さんに殆ど拉致られたようなものだし、と少しばかり開き直る。
ショッピングモールでばったり会い、挨拶だけして去ろうとしたら呼び止められ、引きずられるようにこのお店に入ってしまったのだ。
なるべく卓也君以外の男性とは2人きりでこういうのはしたくないんだけど、悠人さんの強引さは洗練されたところがあり、あっさりと私を絡み取ったのだから仕方ない。

「ところでお話というのは?」

そうなのだ。
悠人さんは「話がある」と言い、私をここまで連れて来た。
奢ってもらうことになったわけだし、用件はちゃんと済ませたい。

「ああ、そうだったな」

静かにカップをソーサーに置く所作もセレブらしさに溢れていて、本当に別世界の人なのだと感じた。
こんな人を手駒した由奈ちゃんはすごいな、と思ったところだった。

「由奈のことだ」

彼女の名前が、悠人さんの口から発せられたのは。
あまりにもタイミングが良くて一瞬固まってしまったが、なんてことはない。
私と悠人さんの繋がりなんて由奈ちゃんぐらいだ。

「何かありましたか?」

確か彼女は今、恭介君と付き合っているはずだ。
由奈ちゃんの恋愛遍歴はかなり入り乱れていて、たまによくわからなくなるが、それは確かだ、うん。

「諦めたと思ったら、また恋をしてしまったらしい」
「それはまた面倒ですね」

彼が彼女に恋をするのはこれで3度目だと記憶している。
悠人さんが高校3年で由奈ちゃんが高校2年の春、お互い一目惚れで情熱的な恋愛をしたかと思えば別れ、由奈ちゃんが大学に入ったばかりの頃、これまたロミオとジュリエット並みの運命的な愛を感じ合ったと思えば別れ、今に至る。
悠人さんばかりでなく、他のたくさんの男の子達ともそんな恋をしまくっている由奈ちゃんはアフロディーテか何かなのだろう。
一度彼女に惹かれて、虜になってしまえば、もう逃げられないのだ。

「懲りない男だろ?」

自嘲気味に笑う悠人さんは、しかしどこか楽しそうでもあった。
やっぱり俺は彼女なしでは生きていけないらしい、などと思っているのだろう。
そんな陶酔めいた恋愛を、彼はしているのだ。

「別に、悠人さんがそれでいいならいいんじゃないですかね」

私は別に、由奈ちゃんと彼女を取り巻く男達を非難も糾弾もする気はない。
由奈ちゃんは毎回毎回本気で恋をしているし、彼らだっていつでも本気で由奈ちゃんを愛している。
由奈ちゃんの心のアンテナが誰に向くかというだけの話で、彼女の心のアンテナはよく向きを変えるというだけの話だ。
ただ皆、全力で恋をしているだけ。
それなら私だって同じなのだ。
卓也君にずっと全力で恋してる。

「話っていうのはそれだけですか?」

紅茶を飲み干し、悠人さんを見据える。
彼は「いや」と首を横に振った。

「あとひとつ」

何ですか、と視線で促すと、悠人さんは椅子の背もたれに上半身を預けた。

「もしも恭介から由奈を奪えたとして、俺は由奈と結婚までいけるほど、長く付き合えると思うか?」

それは私に話し掛けているようには聞こえなかった。
神様仏様、そんなものに投げ掛けた、縋る言葉だった。
けれど彼は私に聞いているのだ。
私は紅茶を奢ってもらう立場なのだから、熟考して出した答えを告げなければならない。
ちゃんと深く真剣に考える。
そんなに考えなくても、答えは同じなのに。
それでも、私はちゃんと考えて、口を開いた。

「続かないと、思います」





「って、言ったんだけど、良かったよね?」
「まあ、がそう思ったならいいんじゃねぇか?の考えが聞きたかったんだろ、そいつ」

今日の話を夕食が終わった後のリビングのソファで卓也君にすると、卓也君は私の髪を梳いた。

「しかし、俺以外の男と2人でお茶とは、解せないな」

卓也君の手の内にある髪の束は、卓也君の唇にキスされた。

「俺、が他の男に鞍替えするとかになったら、まず相手の男を血祭りにあげて、は閉じ込めるから」

卓也君の色っぽい垂れ目が、妖しく光って私の目を捉える。
お腹の下がぞくっとして、私は小さく笑った。

「卓也君に閉じ込められるんなら、それもいいかも」

ぎゅっと卓也君に抱きつき、そのまま押し倒す形で、2人してソファに横になる。
私の下で卓也君は少しだけムスッとした。

「鞍替えするのかよ」
「しないよ」

するわけないよ。
そう続けると、卓也君は「だよな」と言って、私達はクスクスと笑い合った。
由奈ちゃんにも、悠人さんにも、奏矢君にも、他の人達にも、皆に、私にとっての卓也君みたいな人が見つかればいいのに。
そんなことを頭の片隅で思いながら、私は卓也君の冷たい掌が、そっとお腹を這うのを感じた。


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