お友達な彼と




奏矢君は良い人だと思う。
フェミニストっぽいところがあるし、誰とでも上手く付き合える処世術もある。
そしてだからこそ、恋愛対象になりにくい人だ。

「俺の何が駄目なんだ」

奏矢君に招かれて訪れた辰原邸では、奏矢君が頭を抱えて嘆いている。
私と卓也君は振る舞われたオレンジジュースに口を付けながらアイコンタクトを取った。
めんどくさいと。
少し前までなら「ヒゲじゃない?」と返せば何とかなっていたけれど、アイデンティティーだと主張していたヒゲを剃ってしまった今となってはその常套句は使えない。
…なんで剃ってしまったんだろう。

「べ、別に奏矢君に悪いところはないよ。ただNTR属性だっただけだよ」
「嬉しくない」
「女を見る目がないんじゃねーの?」
「やめて、由奈は女神だから」

その女神に軽く浮気されたわけだけどね。
という言葉は飲み込んで、さてどうしようかと考える。
由奈ちゃんだけが女でないことは奏矢君も承知済みで、由奈ちゃん以外の女の子とも付き合ったことはあった。
けれど奏矢君は由奈ちゃん以上の女の子と出会えずにいた。
由奈ちゃんを高校時代の甘酸っぱい記憶にできなかった奏矢君は、今も由奈ちゃんに振り回されている。

「なんというか、由奈ちゃんは本当に魔性だね」

高校2年生のとき転校して来た由奈ちゃんは、学校で目立ちまくりな6人の男を手駒に取った小悪魔だ。
恐ろしいのは由奈ちゃん自身にその小悪魔という自覚がないところにある。
彼女に計算というものはない。
天然で小悪魔、素直で天使、可愛くて卑怯、それが五十嵐由奈という女の子だった。

「可愛いは正義を地でいく女だよな、あの子」

卓也君の口調に批判の色は見えない。
ただし言葉にはされなかった「俺はごめんだけど」という声は聞こえた。
私がそれに同意するように頷くと、奏矢君は「わかってる」と呟いた。

「由奈は誰か一人のものになるのが嫌とか、そういうんじゃない。男を捨てる罪悪感がないわけでもない。ただそのとき1番好きな男と付き合うだけ。浮気だって、ただ別れを切り出せなかっただけで浮気のつもりも何もないんだ。そんな由奈が好きなんだから、俺って……」

うな垂れる奏矢君の肩をぽんぽんと叩いてあげた。
私のお友達である奏矢君をこうして苦しめる由奈ちゃんを嫌うことはなかった。
だって由奈ちゃんだから、しょうがないことなのだ。
彼女は全く意図することなく男の子を魅了してしまう。
男を乗り換える由奈ちゃんではあるが、そんな由奈ちゃんをクソビッチと罵ることは決してできない。
彼女はただ恋をしているだけだから。
そしてそんな数多の恋を与える男の子達がいて、由奈ちゃんに魔性の魅力があることは、由奈ちゃん自身に非はない。

「正直さ、由奈ちゃんは奏矢君でも悠人さんでも、御子柴君でも巳城君でも澪ちゃんでも立夏君でもない、本当に普通の男の子と最終的に結ばれそうだよね」

ふと思ったことを口にすると奏矢君は「うっ」と唸って胸に手をやった。
卓也君は「確かに」と笑う。

「しかも皆を結婚式に招待するんだよ」
「やめて!!すごくリアルに想像できて辛い!!」
「奏矢君達が由奈ちゃんの結婚相手との初対面、ポカンとする様子が目に浮かぶよ。そして御子柴君あたりが「普通の男じゃねーか…」って呟くの」
「ありえそうだから止めよう!?ねえ、止めよう?」

奏矢君が本格的に涙目になってきたで「ごめんごめん」と謝って「とにかくさ」と話を切り替える。
将来本当にそんなことになったら、私は少し遠くからその様子を眺めて小さく笑うんだと思う。
流石由奈ちゃん、とそんな気持ちで。

「今、奏矢君が好きなのは由奈ちゃんなんだから、好きでいたらいいんじゃない」
「そうだぜ。誰にも止めることなんてできねーし、いいじゃねぇか、好きでいれば」

何せ相手はあの由奈ちゃんなのだから。











「ねえ、卓也の彼女って君でしょ?」

そう、奏矢君に声をかけられたのは高1の初夏だった。
廊下を歩いている時、呼び止められての第一声はそれだった。
卓也君がバンドを組んでいて、そのメンバーのひとりが同じ学校の辰原奏矢君だというのは知っていたけれど、だからといって私から話しかけることはなかった。
必要性を感じなかったからだ。

「そうだよ、辰原君」
「あ、俺のこと知ってるんだ。やっぱり俺って有名人?」

話した時の第一印象は、調子のいい男だな、である。

「っていうか、俺のこと知ってたら話しかけてよ」

着崩した制服を揺らして、私の前に回り込んだ奏矢君は人懐こい笑みを浮かべた。
そんな奏矢君に「たっつんヤッホー」と声を掛ける女子生徒がいる。
奏矢君は「おー。今度のライブよろしくなー」と明るく返したかと思うと、すぐに私へと視線を戻す。

「で、なんで俺に話しかけてくれなかったのさ」

ポケットに手を入れて、ずいと顔を近付けた奏矢君には既にチャームポイントの髭が揃っていた。

「私、卓也君以外の男に興味ないから」

極めて冷静に、そして本気でそう言うと、奏矢君の楽しげだった目がきょとんと丸くなる。
次の瞬間には嬉しそうに笑っていた。

「そっか。なら仕方ない」

楽しげな声色には私をからかう響きを感じなかった。
ただのチャラ男だと思っていたけれど、普通にいい人じゃん、と認識を改めたのを覚えている。
それから奏矢君は私に引っ付くわけでも私から離れるわけでもなく、すれ違えば挨拶をし、タイミングが合えば立ち話を少しして、そんな距離感で私の男友達になった。
思えば奏矢君は女の子の男友達になることに長けていたので、私と彼が友達になるのは極々自然な流れだった。
でも当時の私は卓也君以外の男の子をあまり知らなかったこともあって、奏矢君という初めての男友達は少し不思議な存在だった。
高校時代、卓也君とのお付き合いで悩むことがあるとそんな不思議な存在の奏矢君に気付けば相談していた。
奏矢君は熱心に話を聞いてくれて、彼の最大の親切心を持って私にいろいろなアドバイスをしてくれた。
彼は徹頭徹尾良い人だった。
奏矢君に恋をするタイミングというものは恐らくたくさんあったに違いない。
けれど私は結局奏矢君にそういった思いを一度も、微塵も抱かずに過ごして来たし、きっとこれからもそうだろう。
恋をするタイミングはあれど、奏矢君の良い人っぷりと私の卓也君への愛が、悉くそれを粉砕するのだから。










「奏矢君って友達止まりになる典型的な男だけど、由奈ちゃんは恋愛対象として見てるんだよね、一応」

オレンジジュースを飲み干した頃、そう言うと卓也君が「ふはっ」と吹き出して笑った。
腕で口元を隠したけれど、全く隠せていない卓也君は、肩を震わせている。

「……、それは俺を貶してる?」
「ううん」

眉尻を下げながらも苦笑する奏矢君に笑いかける。

「褒めてるよ」

コップの中に残った氷がカランと音を立てて、少し溶けた。


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