ラヴユー・アンド・エスケープ




は平和島静雄の教室を出てから我に返った。
私はなんて恥ずかしいことをしてしまったのだろう、きっとこれでは平和島静雄君に迷惑を掛けているに違いない。
今から謝りに行こうか、でも告白してすぐに戻るのも恥ずかしい。
そんな一般的思考回路を持ちながら、ああ恥ずかしい恥ずかしいとは自分の教室に帰っていく。
もうやってしまったものはしょうがないのだ。
こうなったら平和島静雄君のストーカーを立派に成し遂げよう。
そんな思いであった。
ストーカーという立派な犯罪を立派に成し遂げようと思った彼女はもう平凡な少女ではない。

変態だ。

そして彼女は自分が変態だという自覚を持って教室に帰った。
彼女の告白の噂は一瞬で平和島静雄の教室から廊下へ、そして彼女の教室へと流れてきた。
彼女に目線という矢が突き刺さり、追及の口が向く。


。平和島君にストーカーしますって言って告白したって、本当ー?」


にそう聞いた女の子は笑って言った。
それはという人がどういう人物だかわかっていたから笑えたのだ。
あの平凡な少女がそんな馬鹿なことするはずないという経験と実績に基づいた結論。
そう、誰も知らなかったのだ。
彼女が変態であるということを。
否。
彼女が変態になったということを誰も知らなかったのだ。
何故なら彼女が変態として覚醒したのはつい先日、平和島静雄に恋をした瞬間だからだ。
だから誰もが耳を疑った。


「本当だよ」


という混じり気のない平凡少女の放った肯定の一言を、聞き間違いかと思ったのだ。
彼女に聞いた女の子は目をぱちくりさせて、半笑いの口で「え?」と間の抜けた声を出す。


「だって私、平和島静雄君のことが好きなんだもん」


だからストーカーするの、と目を輝かせて彼女は笑う。
その笑顔は彼女を知る誰もが知らない笑顔だった。
恋する乙女の輝かしい笑顔。
漫画ならシャボン玉のトーンが張られるであろう笑顔だ。
女の子はそれから「ああ、そう…」という返答をしてわけわからないと頭に?を浮かべながら仲良しグループの元へ去って行った。
の言葉を聞いた者達も「は?」と周りにいる人と目を合わせるばかり。
けれど所詮他人事である。
次第に教室にカオス的な音が戻り始める。
それぞれがそれぞれの世界でそれぞれの話を再開したのだ。
それが学生である。
彼女の言葉を深く考えるような中二病のような者はいない。





さて、所変わって平和島静雄の教室。
その教室では今しがたの告白の話題で持ちきりだった。
普段なら平和島静雄は自分が主となる噂を良しとせず、イライラするのだがその様子は見受けられない。
彼は自分の席に座ったまま、1㎜も動けずにいた。
もしかしたら彼の耳には周りの雑音は聞こえていないのかもしれない。
それくらい、彼は動かない。
平和島静雄は困惑の渦中にいた。

初めて他人に好意を寄せられた。

告白の形や台詞の中身はどうであれ、それは真実だった。
だから平和島静雄は困惑していた。
彼は他人に好かれたことはなかったからだ。
彼に宿った暴力が彼から人を遠ざけた。
人は彼の傍に近付かないし、彼も人の傍には近付かない。
人は彼の暴力を怖がり、彼は人を傷付けるのを怖がる。
磁石の同極のように反発する彼と人。
しかし先程の女は違った。
自分に恋をしたと言った女、自分をストーカーすると言った女。

自分に近付いてきた、彼女。

完全なるイレギュラー。
彼は対処法がわからず、動けずにいた。
ようやく予鈴が鳴り、ざわめきが収まってきたところで彼はゆっくり深呼吸し、一旦頭の中をクリアにした。
そして、考えるのを止めた。
わからないものはわからないのだ。
いつまでもウダウダ悩むのは性に合わないと、彼は彼女について考えるのを放棄した。
そうしてやっと動き出した彼がしたのは、次の授業の準備だった。
しかしながら、授業中、頭の中から放り出したはずの彼女は何度も彼の頭の中をぐしゃぐしゃにしては消え、ぐしゃぐしゃにしては消えて行った。





放課後。
平和島静雄は帰路に着いていた。
そしていつも通り、不良集団に取り囲まれた。
何が切欠で絡まれるようになったのか、平和島静雄自身には覚えがない。
けれど理不尽に因縁をつけられ、理不尽な暴力で理不尽な輩を理不尽にぶっ飛ばしていくのはもう日常になってしまっていた。
できることならこの状況を打破したいとも思っているが、彼の力では打破どころが破壊になり、それは解決への糸口すらも破壊してしまうのだ。
彼の気の短さと不良達の血気盛んな挑発は話し合いの余地を作らない。


「てめぇをぶっ殺してやる!!!!」


ほら、今日もだ。
平和島静雄は諦めたように、「俺があんたらに何をしたんだ」と言おうとした口から溜息をひとつ零した。
次の瞬間、平和島静雄は目の前のうぜぇ奴を殴るという意思でいっぱいになった。
要するにキレた。
そして鉄パイプを振りかざして向かってきたスキンヘッドの男に拳を向ける。
その拳は鉄パイプを折り曲げた、と思ったら、鉄パイプはパキンと真っ二つに切れ、そのまま男の腹に食い込んだ。
男は、ぶっ飛んだ。
面白いくらいにぶっ飛んだ。
空に舞うその男は、遠目では軽い人形のように思われただろう。
平和島静雄達がいたのは歩道ではなく道路であり、低めのビルが立ち並ぶ閑散とした、どこか暗い路地だった。
だからビルの中で働いていた人は驚いただろう。
何せビルの屋上に届くくらいまで、人が飛んだのだから。
けれど慣れている人は慣れているようで、机に着いたままチラリと窓の外を見て「ああまたか」と思うだけで自分の仕事に戻っていく。
池袋とは、そういう町なのだ。


「化け物っ……!」


平和島静雄を囲んでいた不良達の最後の1人が道路に落ちる。
化け物という捨て台詞を残して、その1人は意識を手放した。
平和島静雄は自分を囲むように倒れる男達を見渡して、ゆっくり空を見上げた。
その拍子にビルの窓からこちらを伺っていた人達がささっと自分から目を背けて窓から離れるのを見た。
沢山の人間を殴り飛ばしておきながら、全く痛まない自らの手。
長年の喧嘩の為に強固になった彼の体は、確かに化け物と呼ぶに相応しいのかもしれない。
ナイフも刺さらなければ車で撥ねられても平気だったのだ。
平和島静雄は、確かに自分は化け物であると感じていた。
青く眩しい空に目を細めながら、彼は呟く。


「また、やっちまった」


彼が目を細めたのは、空が眩しいからではなかったのかもしれない。
ただ暴力を振るったという行為に嫌悪を覚えていただけなのかもしれない。
平和島静雄は深い溜息をして、再び帰路に着こうと顔の向きを空から地面へと変え、歩み出す。
しかし、まだ彼は帰れなかった。


「このっ!!!!」


最後の力を振り絞ったのだろう。
1番最初に空を舞ったスキンヘッドの男がポケットから取り出した折り畳みナイフを平和島静雄に向けて突進してきた。
その男は今にも転びそうな走り方で、でも前屈みだった為、中々のスピードだった。
がむしゃらな突進に平和島静雄は気だるげに振り向くだけで慌てたり逃げようとする動作は見られなかった。
その自分を舐めたかのような行為にスキンヘッドの男の頭には更に血が上る。


「死ねやああああ!!!!!!」


どん、と自らの肩が平和島静雄の肩に当たる。
と、同時に男の目の前には青い空が広がった。
デジャブだ、と男は思った。
ナイフが平和島静雄に届いたかどうかすらわからない。
届く前に上に吹き飛ばされたのだろうか。
いや、ナイフが届く届かないは関係ないだろう。
どうせナイフで平和島静雄は殺せない。
ミシミシと骨の軋む体に感じる浮遊感は、男を妙に冷静にさせていた。
そして道路に落ちる瞬間、やっと理解する。
こんな奴を倒そうと思うなんて馬鹿だった、と。
男がそうして道路にキスした時、平和島静雄もまたあることに気付いていた。
いや、あることではなくある存在にだ。
先程までキレていたし周りを男達に囲まれていたから気付かなかった。



ビルの物陰からこちらをじっと見ている女に。



平和島静雄は基本的にあまり人の顔や名前を覚えない。
何か衝撃的なものがあれば別だが。
きっと今日絡んできた奴らの顔も、次会った時にはもう忘れているだろう。
けれど、その女の顔ははっきり覚えていた。
たった1度の面識だったが、覚えていた。
何故ならその女は、今日の午後、教室で自分に愛の告白をしてきた女だったのだから。
自分を好きになってくれた初めての他人。
ついさっきまで記憶の外で、ざわざわと蠢いていた存在だ。
キレたことで完璧に忘れてはいたが。
彼女は平和島静雄と目が合った瞬間に、さっと隠れてしまった。
しかし平和島静雄は見逃さなかった。

彼女が自分をうっとりと見つめていたことに。

この自分の暴力を見て引かなかった人間は弟と小学校からの知人である変態と高校で知り合ってしまった気に食わないノミ虫野郎以外で初めてだ。
弟は感情の起伏があまりないから。
変態は医学的な好奇心から。
ノミ虫野郎は、考えたくもない。
けれど彼女は、確かに自分への好意だった。

平和島静雄はそれがなまじわかってしまったが故に、困惑した。
ついさっきまで考えないようにしていたのに、彼女の存在に気付いた瞬間、彼はもう動けない。
いつもの平和島静雄なら尾行されていることに腹を立て「何のつもりだあ!?言いたいことがあるならはっきり言え!!!!」と殴りかかろうとしていただろう。
しかし相手が女だからというのもあるが、あんな好意の目で見られてはどうすることもできなかった。
何せ彼は、初めて好意というものを貰ったのだから。
どう反応してどう接せればいいのか、わからないし知らないのだ。
とりあえず彼は何とか彼女のいるビルの陰から目を離して、帰ることにした。


(つーか、本当にストーカーすんのかよ)


倒れる男達の存在などもう忘れた平和島静雄の頭の中は、馬鹿みたいにざわついていた。
平和島静雄は、そのざわざわしたものにイライラしながらも何も出来ずに歩き続けた。
ずっと背中に纏わりつく目線が、うざいわけではなかったが、平和島静雄はイライラしていた。
悩むのは性に合わないのだ。
そして平和島静雄は、歩く速度を上げた。


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