太陽のこども




無事ストーカー1日目を終えたは自室にて一人、妄想していた。
妄想というより自身の偏見に満ちた回想である。
放課後、下駄箱の影に隠れて平和島静雄という自身の思い人を待ち伏せし、とても退屈な表情でそこへ来た彼を羨望の眼差しで見つめた後、一定の距離を保って尾行を開始した彼女に待っていたのは、とても素晴らしい光景だった。
勿論、彼女という変態にとってであり、一般的には素晴らしいとは言い難い光景だ。
見るからに不良といった風貌の者達が平和島静雄の前に立ち塞がったのだ。
彼女はそれまでの道程で平和島静雄の後姿をずっと見つめ続けていたわけだが(じっと見過ぎて周りが全く見えず、人とぶつかりまくったわけだが)、平和島静雄が不良相手に大立ち回りを始めてからは、その瞳の輝きが7割増したと言える。
大の大人を拳一つで天に突き刺し、コンクリートから標識を引っこ抜き、自身の制服が汚れるのもお構いなしで、本能の命じるがままに戦う平和島静雄が、彼女の目には輝いて見えるのだ。
無茶苦茶な力で全てを無茶苦茶にしていく平和島静雄の姿を彼女は思い出し、悶える。
枕に顔を埋めて、足をバタバタさせる姿は、ただの恋する乙女だ。


(かっこよかった!!平和島静雄君、素敵過ぎる!!ブレザーがはためいて、土煙に金髪が揺れて、そしてあの真っ直ぐな眼光!!!かっこいい、かっこいい、かっこよすぎる!!!あんなにたくさんの不良をすぐに沈めるなんて、すごい!!)


は、平和島静雄の異常な力など全く気にしてはいなかった。
普通であれば平和島静雄を語る上で外さずにはいられないその暴力は、彼女にとってさして重要ではないのだ。
彼女は平和島静雄の力に惚れたのではなく、平和島静雄という存在そのものに惚れたのだから。
は平和島静雄の暴力が特別なのではなく、平和島静雄そのものが特別であって、平和島静雄の暴力だけを特別視などしない。
平和島静雄の異常な力も、平和島静雄のただの後姿も、どれもが平等に特別だ。
だから彼女が平和島静雄の喧嘩に瞳を輝かせたのは、平和島静雄の暴力に感激したからではなく、平和島静雄がその四肢を振るった姿がすごかったからだ。
同じようだが、違う。
なぜなら彼女は、平和島静雄が異常な力を持っていなくて、あの喧嘩でボコボコにされたとしても、平和島静雄が動くだけで、彼女の目にはそれが素晴らしい光景になるのだ。
にとって平和島静雄は暴力ではない。
ずっと見ていたいと思えるくらいに素敵な、そしてとてもとても好きな人なのだ。





コト。
の思い人である平和島静雄が静かに目の前に置かれたそれに目を向けると、頭上から声が降ってきた。


「なんか、変な様子だから」


首だけ回すと、そこにいたのは弟の平和島幽だった。
平和島静雄は「さんきゅ」と言って弟が用意してくれた牛乳を飲む。
幽はそれを見届けてから、兄の向かい側に座る。
彼らが今いるのはダイニングのテーブルだ。


「何かあった?」


幽は牛乳を3分の2ほど飲んだ平和島静雄に単調とそう聞いた。
とても冷静に、とても平坦に。
平和島静雄はその問いに、ひとりの女を思い浮かべる。
勿論、自分に恋をしたと言い、ストーカーをしてきた女、だ。
誰もが怯える自分の暴力を目にしても、怯むどころか嬉しそうにしていた、あの変な女だ。


「…よく、わからねえ」
「そっか。わからないんだ」
「ああ」


それから幽は何も言及したりせず、机に教科書ノート筆記用具を広げた。
静雄は「宿題するのか、幽は偉いな」と妙に誇らしく思いながらも、例の女に思考を巡らす。
彼女は自分に恋をしたと言ったが、それは本当なのだろうか。
いや、きっと本当なのだろう。
ビルの物陰からのあの眼差しは、疑いようがないくらい、好意に満ちていた。
それがわかるからこそ、よくわからないのだ。
彼女は自分の何を好きになったのか。
なんで自分を好きなのか。
わからない。
平和島静雄はガシガシと頭を掻いて、でも、と溜息を吐いた。
彼女をあの喧嘩に巻き込まなくて良かったと思った。
結構近くにいたから、もしかしたら自分の暴力に巻き込んでいたかもしれなかったのだ。
無関係な人間を傷付けることはしたくない。
だから、彼女が自分から早く離れればいいと思った。
ストーカーする気ではいるらしいが、そんなことしてたら、きっといつか自分は一般人である彼女を巻き込んでしまうだろう。
無意味に無関係な人間を傷付けるのは後味が悪過ぎる。
罪悪感とか、そんなの感じたくないから、彼女には自分から離れてほしい。
恋とか好きとか、そんなのはどうだっていいから、近付かないでほしい。
平和島静雄はコップの中に残っている牛乳を、飲み干した。





その翌日。
登校しようと家を出て数分後、平和島静雄はあることに気付いた。
数メートル先の電柱に、ある人物が背を預けていた。
その人物とは、昨日自分に愛の告白をした女だった。
平和島静雄の歩みは自然と止まる。
彼女は人の気配に気付いたのか、顔を上げた。
そして平和島静雄をその目に映すなり、満面の笑みを浮かべるではないか。
自分を見て嬉しそうにする人物なんて、小学校時代の同級生である岸谷新羅くらいしかいなかった彼には、それはあまりにイレギュラーなものだった。
何せ岸谷新羅は自分を研究対象として嬉しがるだけだったのだ。
彼女のような純粋に「会えて嬉しい」というものは、きっと平和島静雄は初めてだった。


「あ、お、おお、おはよう!」


拳を胸の前でぎゅっと握って、頬を赤らめてそう挨拶した彼女に、平和島静雄は首の後ろが痒くなるのを感じた。
家族以外と挨拶なんて、ちゃんとしたことない気がしたのだ。


「……おう、おはよ」


何拍も置いて、平和島静雄は彼女に挨拶を返した。
ぶっきらぼうで、愛想も何もない、ただの言葉だ。
彼女は笑顔で、噛みながらも頑張って元気よく挨拶してくれたのと比べると、ひどく冷たい対応だった。
しかし彼女はそんなの気にした素振りなく、笑みを一段を明るくして照れ臭そうに髪を耳にかけた。
そして何かに思い至ったのか、バッと顔を上げたかと思うと、すぐに頭を下げる。


「あのっ、昨日はいきなり変なこと言ってすいませんでした」


平和島静雄はポカンとした。
昨日のいきなりのストーカー宣言といい、実際のストーキングといい、確かに変な女ではあるのだが、先程の挨拶や今の謝罪、そして照れたり慌てて頭を下げるこのいかにも普通な態度が、どうも違和感がある。
昨日、あそこまでやった女が今になって普通になるのが、どうも妙に感じるのだ。
そんな平和島静雄の様子に気付かないのか、目の前の女は平和島静雄と目を合わせようとはせず、そわそわした様子で口を開く。


「急に恋をしましたとか言われても気持ち悪いですよね。でも私は、平和島静雄さんのこと本当に好きで、だからストーカーさせていただきたいんです」


平和島静雄は、彼女の様子が変わっていくのに気付いた。
そわそわと落ち着きのなかった彼女の手足が、静かに態勢を整えていく。
伏せられていた瞳が、自分を真っ直ぐと見つめる。
口調が、昨日の告白の時と同じように、どんどん冷静なものになっていく。
平和島静雄は、ただ目の前の彼女の自分への好意をびしびしと全身に感じていた。


「平和島静雄君。貴方はとても素敵な人です。私は貴方をずっと見ていたいんです。貴方を見るだけで、私は幸せな気持ちになれます。平和島静雄君にメリットはありません。でもご迷惑はかけません。ですから、今日はちゃんと許可をいただきたいのです。貴方を追いかけてもいいですか?」


平和島静雄は絶句した。
この女は何を言っているんだと、信じられないものを見るかのように、彼女を見ている。
自分は素敵なんかではない。
自分を見て幸せなんて有り得ない。
自分を追いかけたところで良いことなんて一つもない。
平和島静雄は、それを自分に言い聞かすように何度も何度も頭の中で繰り返す。
けれど彼女の真剣な眼差しがその考えを否定する。


(この女は、本当に、俺を、)


けれど、平和島静雄は、いつもの結論に至る。
平和島静雄は、静かに彼女に告げた。


「俺の傍に寄ったら、怪我するだけだ」


いつだって、そうなのだから。
彼女の好意にどう応えるかなど、平和島静雄は考えていなかった。
どうせ彼女の方から離れていく。
もしくは自分が彼女から離れていく。
だから、彼女の自分への好意など、無視したって構わないだろう。
そんなの、消えてなくなるのだから。
そして平和島静雄は彼女を視界に入れずに、彼女の横を通り抜ける。
心の中で「こんな俺を好きだと言ってくれて、ありがとな」と呟きながら。


「傍になんて、寄りませんよ」


背後から、そう聞こえた。
平和島静雄は少しだけ悲しくなったが、それでいいんだと心の底から思った。
そして安心の溜息を吐こうとした時だった。
背後の声が、予想だにしなかったことを告げたのだ。


「だって、私はストーカーですから。一定の距離を保って、平和島静雄君を見ています」


平和島静雄は、確かにそうだな、とつい納得してしまった。
しかしストーカーっていうのはどんどんターゲットに近付くものだろう、とも思った。
テレビで見た、ストーカー被害なんかは真っ平だし、そんなことされたらいくら女でも殴ってしまうだろう。
平和島静雄は暴力が嫌いだから、そんなことはしたくない。
だから、ストーカー行為はよせと言おうと彼は振り返った。
そして振り返った彼の瞳に映ったのは、優しく微笑む、ストーカー。


「絶対に平和島静雄君に迷惑はかけません。ご家族にもです」


ここまで断言されたら、平和島静雄は口を閉ざすしかなかった。
要は彼女に圧倒されたのだ。
彼女の、真摯で紳士な自分への愛を、平和島静雄は真正面から受け止められずに顔を背けた。
平和島静雄は、呟くように言った。


「うぜぇ真似したら、問答無用でぶっ殺すからな」


それは平和島静雄の本心だった。
うざい視線だと感じたら、きっと殺したくなる。
うざい存在だと感じたら、きっと殺したくなる。
でも、暴力は嫌いだから、暴力を振るわせるようなことをするなと暗に告げたのだ。
そして、彼女の言葉にどう返したらいいのかわからなかったというのも本心だ。
彼には、こう言うしかできなかったとも言える。
平和島静雄にはわからないのだ。
彼女がどうして自分を好きなのか、自分を追いかけたいのか、自分のストーカーになりたいのか。
わからないから、なんて言えばいいのかわからなくて、こう言った。
すると彼女は笑みを深めた。


「はい、わかりました」


平和島静雄は彼女が嬉しそうに笑ったのを見て、踵を返した。
いつもより登校時間が遅くなってしまった。
でも遅刻はしないだろうと、歩みを早めることはない。
そして大分歩いて平和島静雄は朝の白い東の空を見た後、そっと後ろを見やる。
そこには例の女がいた。
キラキラを目を輝かせて、自分の後ろを追っていた。
後ろ、と言っても軽く50メートルは後ろにいた。
平和島静雄は、まるで忠犬のように自分を見る彼女から視線をずらし、通学路を進む。


(変な女)


そして変なことになったな、と思いながらも、自分を恐れて足を止め、道を開いていく来神の生徒に目を向けないように校舎に入った。
この自分を恐れる視線の中で、ひとつだけ、自分への好意の視線があるのかと思うと、心がすっと軽くなったような気がした。


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