透けてみえた理想




平和島静雄をストーカーし、登校したに待っていたのは、いつもと同じ光景だった。
彼女のクラスメイトは、昨日のストーカー宣言をなかったことにしていたり、もう忘れていたりしたのだ。
だから彼女は友達に気軽におはようと言い、友達も気軽におはようと言った。
それはとても普通の光景だった。
自身、とても普通だった。
1限目は英語だったっけとか、そんなことを思いながら鞄を開ける、至って普通の思考だったし、平和島静雄に思いを馳せることもない。
は、ONとOFFの切り替えがはっきりしているのだ。
切り替わるのは変態スイッチ、切り替えるのは平和島静雄。
平和島静雄の朝のストーカーを終えたと、彼女の脳は信号を出し、彼女は平々凡々女子高生に戻ったのだ。
そしてが友達からトッポを1本恵んでもらっている時、平和島静雄は自分の席に座っていた。
彼の前に、ひとりの男が立った。


「良かったじゃないか」


平和島静雄の小学校時代の同級生、岸谷新羅はそう笑いかけた。
平和島静雄は何の話かわからずに眉間に皺を寄せて新羅を見上げる。


「告白されたんだって?遂に静雄にも春が訪れたんだね。良かったじゃないか」


二回目となるその言葉を口にした新羅は、仰々しく両手を広げて、何かの演説でもするかのように言葉を紡ぐ。


「恋愛とは素晴らしい。恋をして愛した人のことを考えるだけで幸せになれるんだからね。そしてその人のことを思うが故に、どんなことでもできてしまう。まさに恋する人は天衣無縫。こうして人間は進化していくのかもしれない。だとすると静雄のすごい力は、もしかしたら恋する人の秘めたるパワーが常に全開ということかもしれないね。火事場の馬鹿力、なんて言ったけど、その説もありだと思うんだ。だとすると、君に告白した人を、君が愛したなら、君の力はまた更に強くなるだろうね。というわけで解剖させて、」


新羅が全てを言い切る前に、平和島静雄と彼を隔てていた机が消えた。
ガンッ。
  ドンッ。
教室中に響き渡り、廊下にまで聞こえたそのふたつの音は、平和島静雄が自身の机を膝で蹴り上げ、天井に当たった音とそれが平和島静雄と岸谷新羅の間、つまりは元の場所に落ちてきた音だ。
教室にいた人達は皆、そちらを向いたが、平和島静雄が原因だとわかると「なんだ、平和島静雄か」とすぐに元の小さな輪の中へ戻って行く。
新羅は鼻先を掠めるギリギリで落ちてきた歪んだ机を見て溜息をひとつ零した。


「…、で、どうするんだい?」


いきなり目の前に机が落ちてきたというのに、新羅は冷静だ。
内心すごくドキドキしてるし、とても驚いたが、それらはすぐに治めて平和島静雄に話し掛けた目的を達成しようと切り替えたのだ。


「何がだよ」


平和島静雄は椅子から降りて、自身が蹴り上げて歪んでしまった机の脚などを手で直しながら、またじとっと新羅を見上げた。
やれやれ、と新羅は両手を上げる。


「だから、告白だよ。随分一方的に告白されたらしいけど、返事はちゃんとしないとね」


そこで平和島静雄は、そういえば、と机を直す手を止めた。
ストーカーしていいだ何だの話は朝したが、好きという思いについては何も話していないな、と。
しかし彼女はどうもストーカーしたいだけなようだし、返事を要求されていない。
そもそも返事をくれと言われたら、きっとキレてしまう。
だって自分は、彼女のことなど何一つ知らないのだから。
それなのに返事をくれなど言われても、どうしようもない。
まあ、自分は誰かに近付いたりしないという大前提があるから、どうやったって彼女の気持ちに応えることなどないのだが。
というか、彼女だって自分のことなど何も知らないはずなのに、自分を好きだと言った。
それだけで自分はわけがわからないとキレてしまうかもしれないのだ。
けれど平和島静雄はキレていなかった。
それは、あまりに彼女の思いが一直線に自分に向いているからだろう。
自惚れではなく、確かに彼女は自分のことが好きなのだと、わかるのだ。
だから平和島静雄は、またも同じ疑問にぶつかる。


(どうして俺みたいな奴を、好きだなんて、)


彼女に聞けばいいだけの話だが、平和島静雄の頭には何故かその考えは浮かばなかった。


「まあ、そこらへんは個人のペースというものがあるから僕が口を挟む必要はないんだけどね」
「なら挟むな」
「ははは、いいじゃないか、僕は静雄の友達だからね。ちょっとはお節介をさせてくれよ」
「…セルティに何か言われたんだろ」
「よくわかったね。そうなんだよ、セルティが言ったんだ。『静雄が告白された!?それはいいことじゃないか。でも静雄はそういうことに疎そうだし、心配だな。新羅、お前は友達だろう?少しは静雄の手助けでもしてやれ』ってさ」


つまり岸谷新羅は臆面もなく言ったのだ。
自分が平和島静雄という友達を気に掛けたのは、友達だからではなく、好きな人に言われたからだと。
平和島静雄はそれについて思う所などなかった。
いっそ清々しいとも思う。
そして平和島静雄はギシという音と共に机を直し、席に着く。


「でも、やっぱり静雄を好きになった子っていうのは興味あるね。しかもストーカーさせてくださいって言ったんでしょ?面白い子だよねー」
「まあ、変な奴だな」
「ちょっとは知ってる、みたいな言い方だね」
「今朝会った」
「え、一緒に登校したりとかしちゃったの!?」
「いや、ストーカーされた」
「…よくぶっ飛ばさなかったね。女の子だからかい?」
「別に、ムカつかなかっただけだ」
「自分に好意を持つ人には無条件でどうにも甘くなってしまうってやつかな」


そういうもの、なのかもしれない。
平和島静雄はそっとそう思った。
けれど、ちょっと違うような気もした。
平和島静雄は自身が彼女の思いに戸惑っているからキレていないのだと思い込んでいたが、ふと感じたのだ。
そうではない所もある、と。
それが何なのか、平和島静雄は考えてみようとしたが、それは中断される。


「うーん、やっぱりちょっと見てみたいなぁ。その子、何て名前?何組?」


岸谷新羅のその言葉によって。
そして平和島静雄は思った。


(俺は本当に、あの女のことを知らないんだな)


寂しいとか空しいとか、そういう気持ちにはならなかった。
ただ、自分を好きな彼女が、自分に名前も知られていないことを、どう思うのだろうと一瞬思っただけだった。
彼女のことを知ろうとした方がいいのだろうか。
そんなことも思った。


「…静雄?」


返事をしない平和島静雄を疑問に思った新羅が声を掛ける。
それにはっとした平和島静雄は、答えた。


「知らねえ」


岸谷新羅は、平和島静雄のその声に苦笑した。
あまりにも普通に言われた知らないという答え。
いつか目の前の友達が誰かに恋をして、何か聞いた時の答えが今と同じだった時、その声はどうなるんだろうと少し楽しみに苦笑を変えた。


「まあ、ストーカー被害には気を付けてね」


岸谷新羅はそれを捨て台詞に平和島静雄の元から去った。
新羅の言葉を受けて平和島静雄の心に残ったのは、あのストーカー女が自分に迷惑を掛けるようなことはしないだろうという、確信めいたものだった。





、ねぇ」


いきなり平和島静雄にという化物に告白した女を学校の屋上から見つけた男は笑みを浮かべる。
が体育の授業を受けている時だった。


「ノーマークだったなぁ。思わぬ伏兵現るって感じかな。まずは様子見から始めようかな」


ひとりで屋上でブツブツと言葉を発するその姿は「痛い」以外の何でもないのだが、男は中二病らしく、歌うように言葉を舌に乗せる。


「君はどんなふうに踊ってくれるのかな。楽しみだよ」


手を差し伸べるように、腕を伸ばしたその男の姿はとても痛いものがあったが、やはり男は楽しそうだった。
男の手のひらには、が乗っているように見える。


「いい駒になってほしいもんだよ、本当に」


平和島静雄を殺したい彼、折原臨也は笑った。
平凡で無害、関わることなどないだろうと思っていたをまるで歓迎するとでも言いたげに。






放課後、帰り支度を終えたはスイッチをONにした。


(平和島静雄君、きっと今日も素敵なんだろうな)


は頬をほんのり赤らめて、教室を出る。
途中、眉目秀麗な黒髪の男子と擦れ違い、頭にタオルを巻いた体つきのいい男子と擦れ違い、眼鏡を掛けた細見の男子と擦れ違ったが、彼女の目には映らなかった。
彼女は平和島静雄しか、もう目に入らないのだ。
そして下駄箱で平和島静雄が靴を取り出しているのを見つけた瞬間、さっと柱の後ろに回って心臓のバクバクを左胸に手を置いて治める。
それから平和島静雄が靴を履き替え、昇降口を出た所では下駄箱に出る。
が昇降口を出た時には、平和島静雄はもう校門にいた。


(かっこいい)


平和島静雄の後ろ姿を見て、感嘆の溜息を吐いた彼女は、ストーカーを開始する。
結局心臓はバクバクしたままだった。





一方、平和島静雄は今日も彼女はストーカーしているのだろうか、と思っていた。
後ろを振り向いていちいち確認するのもどうかと思うし、気配でわかるなんて、無理な話だ。
今は下校時間のピーク。
来神の生徒が校門からどれだけ出ているだろうか。
まあ、彼女が後ろにいようがいまいが、自分の行動は何も変わらないし、どうでもいいか、と平和島静雄は結論を出す。


(そういや、家の冷蔵庫にプリンもうなかったな)


平和島静雄は中々に単純な男だった為、冷蔵庫の中身に思考は行き着いた。





コンビニに入っていく平和島静雄の姿を確認したは、その場で立ち止まり電柱に体を預けて平和島静雄が出てくるのを待った。
ストーカーとしては、平和島静雄が何を買うのか知っておかなければならないとは思ったが、それはいくらなんでも怒らせてしまうだろうと判断する。
彼女は今まで平和島静雄とちゃんとした会話をしたことはなかった。
言ってしまえば、先日の告白が初めて平和島静雄に話し掛けた言葉だったし、会話も朝のものが初めてだった。
だから彼女には平和島静雄の沸点やキレる切欠、線引きなどはわからない。
しかし、今のところ、は平和島静雄を怒らせてはいなかった。
平和島静雄の戸惑いなどもあるが、恐らくの力量が大きいだろう。
力量と言っても、特別なものではない。
は何回も言うが変態ではあるが、平凡だ。
平凡な彼女は、平凡であるが故に、馴染むということを自然と無意識にやれる。
つまり、空気が読めるのだ。
誰だってできるそれで、彼女は平和島静雄をキレさせないでいられる。
それは、誰だって平和島静雄を怒らせずに付き合えるということなのだが、の一方的なストーカー行為と平和島静雄の様々な苦悩や葛藤が、それを証明させていなかった。
平和島静雄の周りが彼をキレさせるようなもので溢れていたというのもあるだろう。
まあ、それが何だという話なのだが。
は平和島静雄のストーカーを止めることなどないし、平和島静雄だって誰かと積極的に関わろうとしないことには変わらない。
二人共、それでいいのだから。





平和島静雄はプリンを買ってコンビニから出た時、ふと周りを見渡した。
すると、電柱に寄り掛かってこちらを見ている女を見つけた。
ストーカーしていたのか、と平和島静雄は認識する。
そして、そのまま平和島静雄は帰ろうと足を進めた。
着いてきているのだろうか、とは思ったが、確認する必要性は感じない。
わざわざ振り返って彼女の元に歩み寄って名前を聞く必要性も感じない。
ただ、やっぱり首の後ろが痒くなった。


(つーか、ストーカーして、どうすんだよ)


彼女はストーカーをして、その先は、どうなるのだろう、どうするのだろう。
告白の返事を求められるのだろうか。
わかりもしない未来を思って、平和島静雄は溜息を吐いた。
自分を好きで、彼女はどうしたいのか。
そもそもどうして彼女は自分を好きなのか。
彼女の名前は、何なのか。
わからないことが多過ぎて、平和島静雄は少しイラッとした。
そしてそこに現れた柄の悪い連中に因縁を付けられたからキレてぶっ飛ばした。
自分の周りから人が消え、遠巻きに注目を浴びていることに舌打ちをする。
綺麗に円を描くように、人が自分から離れているのだ。
慣れているとはいえ、居心地の悪さは変わらない。
平和島静雄は地面に落とした鞄を拾って、顔を上げた。
その先には、とても浮いている女がいた。
一定の距離を置いて、綺麗に円を描いている人の群れから3歩ほど飛び出している彼女は、自分をじっと見つめていた。
彼女は目が合ったと気付いた瞬間、顔をボッと赤らめてワタワタと焦り、鞄で自分の顔を隠す。
言わずもなが、ストーカーのだった。
平和島静雄が暴れ出した瞬間、彼女は平和島静雄に例の如く見惚れてしまい、人が離れていく中、ずっと立ち止まっていた結果、ひとり浮き出る形となったのだ。
そうして鞄で赤い顔を隠す彼女を見て、平和島静雄は、ただ驚いていた。


(俺から、離れないのか)


ゴクンと唾を飲み込む。
唇が震える。
平和島静雄は、喜んでいた。
好きだと言われた、ストーカーをすると言われた、迷惑は掛けないと言われた、真っ直ぐに好意の瞳を向けてくれた。
けれどそれ以上に、離れなかったことが、平和島静雄は嬉しかった。
皆、今まで離れていったから。
嬉しかったが、平和島静雄はそれを押し殺して、に言う。


「怪我するかもしれねえから、喧嘩の時はもっとちゃんと離れろよ」


そして、平和島静雄は彼女の返事を待たずに、彼女に背を向けて歩き出した。
平和島静雄のそれは、本音だった。
確かに離れなかったことは嬉しかったが、もっと離れていてほしいとも思ったのだ。
巻き込むのは、気分が悪いから。
どんな思いからか、平和島静雄は溜息を吐いた。
その時、背後から声が掛かった。


「ありがとうございますっ!」


ストーカー女の声だとわかった。
何がありがとうなのか、わからなかった。
でも、彼女の頬が赤いことはわかった。





は赤い頬に両手を置いていた。
平和島静雄の背中がある程度小さくなると、彼女はストーカーをすべくその背中を追うように歩き始める。
その道はもういつもの池袋の喧騒で溢れており、数多の人が行き来していたが、平和島静雄の背中を彼女が見失うことはなかった。


(平和島静雄君に声を掛けられた。優しい言葉を掛けられた。気を掛けてもらった。やばい、すごく嬉しい。私なんかを気に掛けてくれるなんて、平和島静雄君、すごく優しい!)


先程の「ありがとう」は「優しくしてくれてありがとう」だったのだ。


(でも平和島静雄君に言われたから喧嘩の時はもう少し離れないと。それにしても平和島静雄君、かっこいい!)


の心は弾んでいた。
離れろとは言われたが、ストーカーを止めろとは言われなかったわけだし、何より怪我をしなければいいのだ。
危ない危なくないの判断くらいはできる。
危なそうだったら2歩くらい離れようと、は軽く思った。
そしては、平和島静雄の背中を見つめて、かっこいいと見惚れるのだった。
彼女は、好きな人を見ているだけで幸せで、話し掛けられたらドキドキしてもっと幸せになる、普通の恋する乙女なのだ。


inserted by FC2 system