きっと深くまで奪うから




何度も言うようだが、は平凡な女子高校生である。
登下校のストーキングはもう慣れてきて余裕が出てきたから、そろそろ昼食をとる平和島静雄君の姿を拝見しよう。
などと考えながら頬杖を付いて数学の授業を受けているは、その平和島静雄に関すること以外では本当に平凡なのだ。
病気で欠席はしたことがあるが、サボったりはしない。
寝坊で遅刻などしたことはなく、でも遅刻しそうになったことはある。
昼食後の授業ではついウトウトしてしまうが、大っぴらに寝ることはない。
授業で教師に当たられると、てきぱき、さらさらと答えられるわけではないが、答えられないわけでもなく、ちゃんと考えながら答えを導く。
そんな、どちらかと言えば優等生に分類されるが、卒業生代表に選ばれるような優等生ではなく、そして問題児にはなりえない、普通の女子高生なのだ。
廊下を歩けば注目されるような美人でも、クラスの中心にいるようなムードメーカーでもない。
自分と、周りの女友達とだけで小さな世界を作り上げて教室の片隅で笑っているのがだ。
では何故、は平和島静雄のストーカーになったのだろう。
平凡な彼女は、何を切欠に変態になったのか。
それは平和島静雄に恋をしたから、なのだが、それだけでは説明とは言えないだろう。
しかし、今はまだそれだけでいい。
が平和島静雄に惚れた時の様子などは、今のにも平和島静雄にも、必要のないことなのだから。



昼休み。
は黙々とお弁当を食べていた。
早く平和島静雄を見に行きたいからである。
昼休みはたまに他校の不良に攻め込まれてその度に平和島静雄が叩き潰しているのだが、今日はそういうことはなさそうだ。
最後にご飯を一口食べたは、空になった弁当箱に蓋をした。


、どっか行くの?」


食べ終わったかと思ったら、立ち上がる彼女に、友達が話し掛ける。
はいつもの調子で穏やかに笑って言った。


「ちょっと平和島静雄君を拝見しにね」


そこで彼女と一緒に昼食を取っていた女子生徒3人は固まったのだが、3人共同じ結論に辿り着いたようだ。


「ふーん、そっか。いってらっしゃい」


スルーである。
来神高校の超有名人、校庭のサッカーゴールを素手で宙に放り投げたのが記憶に新しい、あの平和島静雄の名が平凡な彼女の口から出たことや、それに伴って思い出されるストーカー告白の噂や、謙譲語かよ、という驚きやツッコミを全て押し殺したのだ。
学園生活を円満に過ごす方法を、の友達は知っていたのだ。
面倒そうなことには首を突っ込まない、細かいことにいちいち左右されない、何もない現状を保つことだ。
の友達は、平和島静雄に関わりたいとは思っていないし、くだらない話で盛り上がる普通の日々を謳歌していたし、そのままが良かったから、スルーした。
は「うん」とだけ行って教室から出て行った。
そしての友達は顔を見合わせて、牽制し合いながら、口を開く。


「そういえば、が平和島静雄に告白したっていう話、あったよね」


本人のいないところで、本人の話をするのは、自然の流れだった。



は教室を出て、真っ先に平和島静雄のクラスに向かっていた。
自分のクラスでない教室に昼食時に入るのはどうかと思うから、扉の窓越しにチラッと見るだけ、を心に決めていただが、それは叶わなかった。
平和島静雄のクラスのプレートを目にして、心臓が高鳴った瞬間、背後から声を掛けられたのだ。


「やあ、さん」


が振り返ると、そこにいたのは平和島静雄に並ぶ来神高校の有名人、折原臨也だった。
折原臨也は人当たり良く笑っていた。
は、ストーカーモードになっていた為、何も感じなかった。
スイッチがONになったには、眉目秀麗な彼も、平和島静雄の敵である彼も、眼中にないのだ。


「ちょっとおしゃべりしない?」


臨也はの無感動の瞳を内心興味深く感じながら、優しく話し掛ける。
しかしは冷たかった。
というか、興味がないようだった。


「すみません、用事があるので」
「シズちゃんのストーキング?」
「そうです」


その瞬間、折原臨也の顔つきが変わった。
笑顔が好青年風だったのが、嫌味な感じになった。
そのニヒルな笑みを浮かべて、臨也は一歩、に近付いた。
は動かなかった。


「世の中にはいろんな人間がいるからね、あの化け物を好きになる子がいてもおかしくはない。けど、」


意味ありげに言葉を切った臨也。
学校中の空気が緩みきった昼休みには似合わない、冷たい空気が2人を覆う。
そして、溜めて、溜めて、臨也は言った。


「君はあまりに、シズちゃんに恋をするのが似合わない」


は、眉をぴくりとも動かさずに、ただ折原臨也を見ていた。


「たとえば、心に傷を負っていて血を見たら悲鳴をあげて気を失うような、壊れかけの繊細な女。たとえば、本心をいつも見せないどこか不思議で猫のように笑う、頭のいい意地悪な女。たとえば、俺に迫られちゃって、それに翻弄されながら自分の恋心が誰に向かっているのか知っていく、可愛い女。…そんな子だよ、シズちゃんに恋をしてもいいのはね。だって、シズちゃんは普通じゃないんだから。そういう、特別な子じゃないと駄目なんだよ。なのに君はとても普通の子だ。ストーカーという異常性は認めてあげてもいいけど、好きな人をつい目で追ってしまうだけのことだと思えば、やっぱり普通だ。シズちゃんの殴ろうと振り上げた腕を掴んで優しく微笑むような聖母でもないだろう、君は。普通の女の子だもんね、君は。まあ、つまり何が言いたいかというと、だ。さんはシズちゃんに恋しちゃ駄目なんだよ」


折原臨也は目を細めてを観察する。
は、まるで目の前に折原臨也がいないかのように立っていた。
確かにの瞳には、薄く笑う臨也が映っているのに、はそれに注目などしていない。
の目には、目の前の折原臨也と学校の廊下が同等にしか見えていなかった。
そして、今の臨也の言葉には動揺などない。
だから何だ、と無表情が訴える。
丁度、学校に流れていた軽快な音楽が止んだ。


「でも、私は平和島静雄君のことが好きなので」


がやっと開いた口からは、その一言だけが発せられた。
そのままはくるりと体を反転し、平和島静雄のクラスを扉の窓からちらりと覗く。
その時、の表情が変わった。
緊張と興奮がせめぎ合って、表情が硬くなった。
そして教室を一巡した瞳は平和島静雄のクラスから離れ、指を顎に持っていき次は思考を一巡する。
きっと平和島静雄は教室にいなかったのだろう。
は次に向かう場所を決める。
そして、ワクワクしてるのが丸わかりな、キラキラとした笑みを浮かべ、折原臨也の存在など忘れて踵を返した。
臨也はそうして廊下をまるで音符でも出しているような軽い足取りで歩いているの背中を見ながら、口端を上げ、笑みを深くした。
いわゆる、悪そうな笑みである。


「まあ、この世にはそもそも普通なんてないんだけどね」


ロック調の音楽が、廊下のスピーカーから流れ出した時の、一言だった。



平和島静雄を求めて階段を上るは、先程の折原臨也の言葉を思い出したりはしていなかった。
屋上にいるのは漫画とかの定番だけど、平和島静雄君はいるかな?としか考えていない。
平和島静雄のストーカーである彼女は、もう平和島静雄以外に興味がなかった。
自分が平和島静雄に恋をしていけないだとか、似合わないとか、そういう自分のことにも興味はない。
は、平和島静雄を追いかけることに何の疑問も抱かない。
まるでそれが本能とでも言うように、平和島静雄を求めて、彼女は屋上の扉を開いた。


(…かっこいい)


が屋上で見たものは、ひとりで弁当を食べている平和島静雄の姿だった。
校内で流れているロック調の音楽は微かに聞こえる程度で、青く晴れ渡った空と灰色のアスファストが静かで穏やかな空間を作っている。
そして、平和島静雄が卵焼きを口に運んだ時だった。
は扉をそっと開けてその隙間から覗いていたのだが、平和島静雄のかっこよさにぼーっとしてしまい、手で扉を押してしまう。
ギィ、と扉の蝶番が不穏な音を出す。


「ん?」


平和島静雄と、の目が合った。
平和島静雄の箸で運んでいた米が、落ちた。
は平和島静雄と目が合ったことで体温が急上昇し、咄嗟に腕を顔の前で交差して自分の顔を隠した。
単に恥ずかしかったのである。


「……」
「……」


中途半端に開いた屋上のドアが、またギィと音を立てる。
何とも言えない沈黙が屋上に広がった。
は覗くだけのつもりでいた為、咄嗟に退くことも場を取り繕うこともできなかったのだ。
というか、平和島静雄と目が合って硬直していた。
腕で顔を隠し続けるを見て、平和島静雄はどうしようかと悩んでいた。
無視して昼食を食べ続けるか、何か話し掛けた方がいいのか。
話し掛けると言っても、話題もないし、取り敢えず食べようとまずは思い至った。
しかし、先程から全く動かない彼女を見て、いつまでそこで固まっているつもりなのだろうとも思った。
そこで平和島静雄は、ある選択をする。


「ストーカー、か?」


に、話し掛けたのだ。
平和島静雄の無骨な言い方、けれども機嫌は悪くなく、至って普通の会話といったノリのその言葉に、はビクッとして、顔の前で交差していた腕を一瞬で下ろし、「気をつけ」の姿勢になった。
の顔は赤く染まり、口は金魚のようにパクパクと空気を噛む。
そしてスカートの裾をぎゅっと握り、一大決心をしたとでも言うように、唾を飲み込み、ぎゅっと目を閉じて、やっと言葉を発した。


「はい、そうです、ストーカーです。あのっ、昼食時も、ストーカーしていいですか?」


平和島静雄の思考が止まった。
一瞬止まって、またすぐ動き出した。


(いや、もうお前ストーカーだろ。って、ストーカーですって何だよ。ストーカーだけどよ。つーか勝手にしろって言っただろうが。勝手にストーカーしてろよ。今更、てかまた許可取るのか。真面目なのか?いやいや、それよりストーカーしていいぞなんて言うのか?勝手にしろっていうのが本心だけどよ、なんか変じゃね?って、もう許可してるわけだし、一応。ん?あ?どういうことだ。っていうか、何なんだよ、この女)


といった感じに軽く混乱し、平和島静雄が出した答えは、


「ストーカーするって言ったのはお前なんだし、お前がしたいようにストーカーすればいいんじゃねえか?」


といったものだった。
は、パッと顔を上げて、視線を彷徨わせながら、スカートの裾を掴んでいた指を解いて、両手を握って胸元で祈るような形にした。


「あ、じゃあ、…ストーカー、します」
「…おう」


赤い顔で、恥ずかしそうに顔を伏せたから照れが伝染した平和島静雄は、サッと顔を背けて米を口に運んだ。
はちらりと目線だけを上げて、平和島静雄を見つめる。
平和島静雄は、何なんだよ、と思いながらも、ストーカーのことを無理矢理気付いてないことにして、昼食を取り続けた。
は次第に落ち着きを取り戻し、ロック調の音楽が終わる頃には、キラキラとした瞳で、顔を上げて真っ直ぐ平和島静雄を見ていた。
祈る様に組まれた手は解かれずにいた。


(平和島静雄君、かっこいい。この人のストーカーをできるなんて、すごく嬉しい)


は、幸せだった。
平和島静雄を見ているだけでとても幸せで、幸せで、幸せだった。
そしての心は、ずっと優しく、ある言葉を囁いていた。


(好きです、平和島静雄君。好きです。好きです。平和島静雄君、好きです。好きです、好きです。平和島静雄君)


先程、平和島静雄から話し掛けられて、はますます平和島静雄のことが好きになっていた。
は、自分がどんどん平和島静雄のことを好きになっていくのがわかったし、これからもストーカーをしているうちにまた更に平和島静雄を好きになるのだと確信した。


(大好きです。平和島静雄君)


平和島静雄が昼食を食べ終わり、屋上を出ようと立ち上がったので、はそっと扉の傍から離れて大きく迂回して屋上のフェンスに背中を預ける。
平和島静雄が屋上の扉を開けて、一歩踏み出そうという時、平和島静雄がチラリとに目線をやった。
の体温が、上がった。


「授業、遅れないようにな」


平和島静雄は、それだけ言って屋上から出て行った。
は、フェンスに背中を預けたまま、膝を曲げてずるずると腰を下ろした。
手で口元を覆うの顔は真っ赤だった。


(優しい!かっこいい!素敵!平和島静雄君、素敵!)


は、また平和島静雄を好きになった。


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