すべては君だけのために




が平和島静雄にストーカー告白をして早2週間。
は登下校と昼休みは平和島静雄のストーカーをすることが習慣化し、平和島静雄もの普通過ぎる存在感のおかげでその日々を自然と受け入れ、特にを意識することもなくなっていた。
ストーカーする時のは確かに変態で、平和島静雄を異常に美化しているのだが、同時に平凡な人間であることは変わらないのだ。
平凡であるが故に、平和島静雄を不快にさせることも、ましてや幸せにすることもなく、はただ平和島静雄を見ているだけだった。
そうして2人が日常を見事に作り出した頃、折原臨也は悪い笑みを浮かべていた。


、君を特別にしてあげるよ」


平和島静雄をストーカーしているの背中を物陰から見つめながら、そう独り言を呟く臨也はそれはそれは、悪い笑みを浮かべていたのだった。





その日もは、数年後にいちいち思い起こすような出来事があるわけでもない、いつも通りの何もない学校生活を送っていた。
ほんの2日前に、折原臨也が笑っていたことなど知らず、いつものように平和島静雄を追おうと、教室を出て、下駄箱付近で待ち伏せる。
平和島静雄もいつものように、どこかムスッとしたような表情で下駄箱にやって来る。
平和島静雄はをその視界の中に入れると、今日もいるな、とストーカーの存在を確認した。
そこに不快感などなく、ただいつも通りの日常が壊れていないことの確認作業に過ぎず、いつも通りであるが故に無意識下で安心をしていた。
最早彼女がいることが、平和島静雄にとっての普通なのだ。
そのままストーカーの存在を特別視することもなく、周りの景色と同一化し、靴を履き替える。
そして「平和な放課後」を頭の片隅で願いながら、平和島静雄は学校を出た。
不良に絡まれることのない、誰も殴らない、自分がキレない、制服が破れない、プリンを買って帰れる、そんな普通で平凡な何てことない放課後が普通になることを。
しかし彼を取り巻く現実はそうはいかない。
ここ最近ではなかった例のあれが起きた。
身に覚えのない因縁を付けられ、一方的に襲われる。
たまにあるけど日常の一部となってしまっているそれを、平和島静雄は殴り飛ばす。
殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って、


「これ以上暴れたら、この女が傷付くぜ、平和島静雄!!」


止まった。
平和島静雄の目には、唇から銀色のチェーンを垂らしている男がナイフをある女の首筋に当てているのがはっきりと映った。
それ以外は見えない。
自分のストーカー女が、所謂人質となっていることを、恐ろしく早いスピードで冷静になった平和島静雄の頭が理解する。
「だから離れろと言っただろう」とか、「迷惑掛けるなとも言ったし」とか、いろいろな言葉が彼の喉のあたりをぐるぐる回ったが、何より強く思ったのは、


(なんで、あの女を選んだんだ?)


というものだった。
きっと彼女でなかったら、人質とかそんなの関係なく、そこに敵がいるからと反射だけですぐに走って行って、相手が焦って逆に何もできないうちに殴り飛ばしていた。
そのまま周りのまだ倒れていない奴等との乱闘に戻るだけだった。
けれど、彼女だったから。
人を簡単に傷付けられる凶器を向けられたのがあのストーカー女だったから、すぐに行動に移せなかったし、思考してしまった。
反応を、してしまった。
平和島静雄はそのことにひどく驚いた。
どんな理由であれ、喧嘩中に怒りが消えたのだ。
彼女が人質であることにも、そのことにも驚きつつ、また平和島静雄の中で怒りがふつふつと沸いてくる。


「人質たぁ、随分な手使うじゃねぇか、あ゛あ゛!?」


野獣のような瞳に気圧されながらも、不良は自身の手の中にいる女の存在を思い出し余裕の表情を浮かべた。
今にも殴りかかって来るようなオーラを出しながらも一歩も動かない様子を見るに、「平和島静雄をずっと見つめている女は平和島静雄の彼女らしい。つまり弱みだから人質にしたらどうか」という風の噂は本当だったらしい。
ナイフを持つ、唇からチェーンのそいつがニヤッと笑うと、先程まで恐怖で顔を歪めていた奴等もニヤニヤと笑った。
そのことにも平和島静雄の怒りのボルテージは上がる。
いつもなら、そう、いつもなら、地面を殴って物凄い痕を作って、呆気に取られ茫然とし動くことすら忘れさせて殴りかかる。
それで絶対に解決できるのに、なのにそれができない。
平和島静雄は動けなかった。
いつもなら考えない、万が一を考えてしまって。
もしもいつものようにあの男が怯えのあまり動けないなんてことにならなかったら、そしたら。


(あの女が、危ない)


一般人を巻き込みたいないのは当然だし、赤の他人をこっちの事情で危ない目に遭わせるのも良心が痛むし、人質になってしまった人が心配になるのもいつものことだ。
それが特に知っている人なら、尚更だ。
つまり、尚更心配だから動けないのだ。
新羅は別として、そうだ、幽などだったら平和島静雄は絶対に動けない。
けれど平和島静雄にとってストーカー女は弟の幽と同じくらい大切かと問われれば違うと断言できる。
言ってしまえば先程人質だったら動けない対象から除外した新羅未満の親しさだ。
なのに平和島静雄は彼女が心配で動けなかった。


「へっ、この女が彼女ってのは本当らしいな。今ならてめぇをボコれるぜ」


下卑た笑いと、発せられる言葉に何より、誰より早く反応したのは、だった。
動けなくなった平和島静雄をナイフなど関係なく、恍惚な眼差しで凝視していたが、初めて自身を危機に陥れている不良に目を向けた。
ちなみにそれまでのの思考は、自分のせいで平和島静雄が動けないなどと考えることもなく、迷惑を掛けているなど微塵も思わず、「平和島静雄君かっこいいかっこいいかっこいい素敵素敵素敵」といったものだった。
自分を見上げる視線に気付いた唇チェーン男はやはりニヤッと笑う。


「アンタにはもう少しそのままでいてもらぜ。動いたら、その顔に一生残る傷ができるかもなぁ」


そんな言葉はの耳に届かなかった。
は口を開く。


「何言ってるんですか?私は平和島静雄君の彼女ではありませんよ。そんな失礼なこと言わないでください。私ごときがあの素晴らしい平和島静雄君と同列だなんて勘違い甚だしいです。平和島静雄君はとってもとっても素敵なのに、私なんかと付き合うわけないじゃないですか。そもそも貴方達ごときに平和島静雄君が負けるわけないです。平和島静雄君は誰よりも強く美しくしなやかで、私や貴方達のような下劣な者が傍に立つこと、触れること、ましてや勝つ、ボコるだなんて有り得ません。この世界の法則に反しています。平和島静雄君の絶対性も理解していないなんて馬鹿ですか?」


沸点の低い、煽り耐性のない不良がキレるには充分な言葉だった。
けれど不良はキレなかった。
驚きと戸惑いとほんの少しの恐怖が生まれて、固まった。
平和島静雄への賞賛が本物で、この状況でそんなことを言ってのけて、その表情はとても機械的で、目はとても真剣で、人質に選んだ平凡な女の中に一種の信仰心のようなものを垣間見たのだ。
が発した言葉は聞こえなかったが、唇チェーン男に隙が生まれたのを平和島静雄は見逃さなかった。
自分の中に溜まった怒りを一気に爆発させ、奥歯を噛み締めて走り、拳を握り、大きく振りかぶった。
周りの奴等の「おい!」「やべえ!」「逃げろ!」という声がざわざわと鼓膜を揺らし、ハッとこちらを見た唇チェーン男の驚愕の表情に「おらああああああああ!!!!!」と雄叫びを上げる。
反射的に防御にと顔の前でクロスされた腕と、同時に解放された人質のストーカー。
ストーカーの鼻すれすれで繰り出した渾身の一撃は、交差された腕をメキメキと折り、そのまま顔面に埋み込まれ、不良はぶっ飛んだ。
弧を描くように飛ぶのではなく、真っ直ぐと地面と平行に飛んでいく自身の仲間を見た不良達は、我先にと逃げ始める。
周りから敵が消えていく中、平和島静雄は肩で息をしていた。
すぐ傍にいる女の方は、どうしてか見れず、そこに立ったままだ。
はと言うと、目の前で見た平和島静雄の横顔に悩殺されたままだった。
拳を突き出し、風に髪が靡くその姿が、の目にはスローモーションで映った。
それはそれは、とても美しい光景だったのだ。
は我を忘れて平和島静雄の背中を見ていた。
それだけで体の中は熱く、骨が溶けていくようだった。
内蔵や血は熟した果実のように爛れていく。


「……なあ」


はその平和島静雄の声でやっと我に返った。
今の状況をやっと理解し、慌てる。


「あああ、すみません、すみません!ストーカーなのにこんな近くに!!大丈夫です、すぐに離れます!」


踵を返した時、体が傾いた。
左腕にぎゅっと温かいものを感じた。
敬愛する彼に腕を掴まれていることは、明白だった。
腕から顔へ、体へ、熱が走る。
血流は倍速。
心拍はドッドッドッドッドッドッと激しく波打つ。
は、振り返れなかった。
一方の平和島静雄も、を見てはいなかった。
故に彼女が耳まで真っ赤にしていることなど気付かず、腕を掴む自分の手を見たまま、顔を歪めた。
それは、泣きそうな表情であったが、平和島静雄ももそんなことには気付かない。
平和島静雄に至っては、引き裂かれそうな胸の痛みを感じていながらも、それが何から発しているものなのかもわかっていなかった。
ただ、何かが怖くて、何かが辛くて、何かが寂しかったのだが、それすらよくわからない。
まるで小さな子供のようだった。


「怪我、してないか?」


ぼそりと呟いた言葉に、も小さく答えた。


「はい、大丈夫、です」
「なら、良かった」
「はい…」


やっと周りに喧騒が帰ってきて、立ち止まる2人を通行人は少々怪訝そうに見やるが、そんなのは2人には関係なかった。
はどうしようもない興奮と緊張を抱えていたし、平和島静雄はよくわからない胸の痛みに苛まれていた。
平和島静雄は、自分がどうしてまだストーカーの腕を掴んでいるのか、必死で考えた。
そして、自分が何を言いたいのかがわかって、言った。


「まだ、俺のストーカーすんのか?」


平和島静雄の心臓は、キューと締め付けられているようだった。
ストーカーを止めるのではないだろうか、きっとそうだ、そうに違いない。
そう思っていた。
そう答えるだろうと思っていた。
それがとても怖くて、辛くて、嫌だった。
「日常」や「普通」が崩れて消えてしまうのは、寂しいものなのだ。
ストーカー行為は普通なくなってほしいものだし、消えたら安心するものだけど、彼女のストーカー行為は違う。
だって平和島静雄は、彼女のそれを受け入れているのだから。
しかしながら、そんな平和島静雄の心の内などお構いなしで、平和島静雄が恐る恐る聞いたのに対しては即答した。


「いえ、ストーカーしますよ。だって、」


の口端は上がる。
赤い頬のまま、微笑んだの顔は、一種の快感を伴っていた。


「だって、私は平和島静雄君のことが好きですから」


するりと平和島静雄の手はの腕から落ちた。
歪んでいた顔は、柔らかいものになっていた。


「そうか。…ありがとな」


ドキリとの心臓が跳ねた。
なんで自分があの平和島静雄にお礼を言われたのかわからず、動揺したのだ。
けれど振り返って聞くことも緊張で出来るはずなく、結局頬をより紅潮させて固まるしかなかった。
一方の平和島静雄はと言うと、胸はもう痛くなかった。
平和島静雄は、安心していた。
彼女のストーカーを続けるという言葉に、好きだという言葉に、胸が温かくなるのを感じていたのだった。


「じゃあ、帰るから」
「なら、ストーカー、します」
「ああ」


背後から立ち去る平和島静雄の気配に、はゆっくり振り返った。
遠くなる背中はいつも通り特別なもので、行き交う人々は幽霊のよう。
平和島静雄だけが、彼女の目にはっきりとその存在感を示していた。
一歩、彼女は踏み出した。
は今日もまた、いつものようにストーカーを再開する。
数年後にいちいち思い起こすような出来事があるわけでもない、いつも通りの何もない日だけど相変わらず平和島静雄君はとても素敵でとてもかっこよくて特別なままな日常であるはずの日は、すごくすごく特別な日になった。
そんな日だった。


(嗚呼。やっぱり平和島静雄君は素敵だ。私の全てを支配している。私の、神様だ)


平和島静雄に触れられたすごくすごく特別な日、彼女の中で彼の存在はもっともっと大きくなった。


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