銀白とレアリズム




平和島静雄はリビングでプリンを食べ終えたが、スプーンは口に咥えたままだった。
彼はストーカーであるについて初めて真剣に考えていた。
ただ勢いに飲まれてストーカーを許し、とりあえず受け入れ、順応したという、完全に受け身であった平和島静雄が彼女に対して積極的になったとも言える。
兎も角、平和島静雄は先程の帰り道、の好きだと言ったあの真っ直ぐな姿勢を思っていた。


(俺のことを本当に好きのか、あの女は)


平和島静雄の思考は一直線にそこに辿り着く。
それ以外考えられなかった。
それは平和島静雄が今までいろんな要因を盾に否定していたものだったが、彼女の愛の告白という矛はその盾を完膚なきまでに破壊してしまった。
結果、平和島静雄は彼女の愛を受け止め、悟り、向き合う。


(俺にとってあの女はなんだ?ストーカー?確かにストーカーだ。でもストーカーという犯罪者だからといってあの女に対してイラついたりムカついたり殺したくなったりはしねぇ。いつも俺の後ろを着いて来てるだけだし。いや、それがストーカーなんだけど、不快ではない。あの女はすごく馴染んでて。いや、俺が順応してるだけか?もういて当たり前っつーか。空気みたいっていうか、特別意識してるわけではなくて、やっぱり慣れてたんだな。でも俺は、あの女の好意だけはあえて無視してた。絶対に俺のことなんかそのうち怖くなるだろうと思ってたけど、あの女は好きだって言った。好きであることが当然みたいに、俺のことを好きだって言った。じゃあ俺はどうなんだ。あの女は俺にとって、ただそこにいるだけの存在だった。でもそれは好意を無視していたからそうだったわけで。あの女は俺のことを好いてくれてる、本当に。それはとても嬉しいことだ。でも、なんであの女はこんな俺を好きなんだ?いや、今大切なのは俺があの女をどう思うか、だ。俺を好きだという事実を含めて)


そこで平和島静雄の咥えていたスプーンがパキッと折れた。
平和島静雄の頬がほんのりと薄桃色に染まる。


(俺を、好き)


照れ臭さが平和島静雄の心を小さく掻いた。
その日、結局平和島静雄の考えはまとまらず、彼女の思いに応える答えは出なかった。
しかしその日から平和島静雄の中でストーカー女は日常の一部ではなく、特別な存在になる。
こんな化物である自分を好きになってくれた人なのだから、彼女は。





一方、は今日の自分の言動が平和島静雄の心境に変化を与えたなどと露にも思っていなかった。
は平和島静雄のことを好きで、だからストーカーしている。
それだけのことなのだ。
それは自分にとっての当たり前だし、平和島静雄にとっての当たり前でもあるのだとは信じていた。
もちろん、平和島静雄にとっては当たり前のことでは決してなかったのだが、はそこらへんは特に深く考えていない。
ただ単に、は平和島静雄が好きなだけなのだから。
それ以外の何でもないから、は、それこそ少年誌の主人公のように、正々堂々と真正面から本気で真摯に「好き」だと告げることができる。
彼女が平和島静雄に対して抱く思いも告げる言葉も向ける視線も、それ以外何もないのだから。


(平和島静雄君、すごく素敵だった。どうして私にあんな優しい顔でありがとうって言ったのか、よくわからなかったけど、でもすごく素敵だった。好きだなぁ。私、平和島静雄君のこと、好き。かっこいいし、綺麗だし、素敵。拳を突き出したあの獰猛な姿もすごくかっこよくて、綺麗で、素敵だった。ああ、もう、ホント大好き!好き、好き!)


平和島静雄がについてごちゃごちゃと考えているように、もまた平和島静雄についてごちゃごちゃと考えてはいたが、その性質は全く異なっていた。
は平和島静雄とは違い、その考えには明確な好きという思いがあり、結論も好きという一点に辿り着く。
彼女は何も疑わず、迷わず、純粋に平和島静雄を好きだと答えられる人なのだから、当然だ。
本当にそれだけだから、ここで彼女について語ることは結局全て同じことを繰り返すだけになってしまう。
は本当に平和島静雄が好きだ。
それだけだ。
平和島静雄に応えてほしいや向き合ってほしいなどという考えは、一切ない。





その頃、折原臨也は自宅のパソコンに向かっていた。
パソコンのデスクトップにはの個人情報が開かれており、同時に折原臨也自身の嫌味っぽい笑みも薄く反射していた。


。知れば知る程、「平凡」の型に嵌っている女だねー。テストでは平均点を取るわけではなく、平均点より上をキープ、でも抜きん出ない。運動も歌も絵も、全部そうだ。ホーント、なんでシズちゃんみたいな化物を好きになったんだか」


ニヤニヤと笑ってはいるが、折原臨也の心の中は若干モヤモヤしていた。
どんなに調べても調べても、と平和島静雄の接点が見つからないからだ。
臨也は常日頃から平和島静雄を殺そうと画策しているため、平和島静雄についての情報を集めている。
まるでストーカーのように。
けれどとは違う。
彼は弱みを握るためだったり、罠に嵌めるために情報を集めているだけで、愛はない。
あるのは殺意だ。
その殺意は本物で、だからこそ臨也はと平和島静雄の接点がわからないことが、悔しかった。
本気で嫌いな奴の情報を、本気で殺したいから集めているのに、そいつを殺す機会を生み出せるかもしれないキーパーソンについて知りたいことが知れないのだから無理もない。


「情報屋を目指してるのに、これじゃあ俺もまだまだかもね。あー、嫌になるよ、全く。折角のいいカモなのに、逃がす真似をしちゃうかもね。まあ逃がさないけど」


また明日に接触してみせるかー、と折原臨也は大きく背伸びをして、ゆっくりと目を閉じた。
臨也の目蓋の下では平和島静雄が死に、自分は高笑いをしている。
臨也の口元はニヤリニヤリと弧を描いていた。





翌朝、平和島静雄はいつものように家を出て、いつものように電柱にストーカー女がいるのを確認して、いつものようにそのまま登校した。
平和島静雄はストーカー女に何かおはようとか声をかけるべきだろうかと思ったが、結局何もしないまま、学校に着き、教室に入っていた。
今まで積極的に他人と関わってこなかった平和島静雄にとって、いきなり挨拶をするのはかなりの勇気が必要なものだったし、その相手が女で、しかも自分に好意を抱いているとわかっているのだから、その難易度は更に高くなったものだから、とてもじゃないが挨拶などできないのだ。


(いや、俺はあの女のことが好きとかじゃないから、しゃべりたいとかそういうのじゃねえんだけど)


平和島静雄の心の声はどこか言い訳じみているが言い訳ではない。
好きとかじゃない、しゃべりたいとかじゃない。
今まで無視していた彼女と彼女の思いに、向き合いたいのだ。
それは平和島静雄の誠実さや責任感といった、普通に人が持ち合わせている良心によるものだ。


(やっぱりこのままじゃいけねぇよな…)


授業が始まっても彼の良心は彼女に向かうばかりだった。





平和島静雄が行動を起こしたのは、昼休みだ。
屋上で1人、弁当を食べる姿を見に来るにちらりと目線を向ける。
こんなの何が面白いんだ、と思うと同時に、ストーカーと目がばっちり合った。
ストーカーは一瞬で顔を真っ赤にし、バッと顔を伏せる。
平和島静雄にその照れは瞬く間に伝染し、彼もまた顔を赤くし慌てて視線を手元の弁当に戻した。


(いちいち照れたり恥ずかしがったりしてんなよ!もっとストーカーらしく堂々としろよ、ホント)


そんな的外れなことを思いながら平和島静雄は箸を動かすスピードを上げる。
首の後ろや背筋がどうもむず痒くて、体を小さく捻ったり座り直したりと落ち着かない様子だ。


(なんでこんなことになってんだよ!もう意味わかんねー)


自分らしくない自分に嫌気が差した平和島静雄は意を決して、に振り向き、声をかけた。


「お前、ここで昼飯、食わねえか?」


それは平和島静雄が、あのストーカーはいつ昼飯を食べているのかと常日頃から疑問に思っていたのと(ちなみには弁当箱は小さく黙々と食べるので早く食べ終えるだけ)、一緒の空間にいる時が昼休みしかなく彼女と向き合って彼女を知る機会になるんじゃないかと考えた末の提案だった。
は、一瞬頭が真っ白になったが、次の瞬間、大きく首を横に振った。


「駄目です駄目です駄目です!私なんかが平和島静雄君と同じ場所で食事だなんて失礼です。ここにいるだけでも申し訳ないのに」


その後もは遠慮と平和島静雄を称える言葉を並べたが、平和島静雄はそんなの耳に入らなかった。
平和島静雄の腹の中は煮え返る。
彼は初めて、ストーカー女にイライラした。
自分のことが好きだと言いながら、自分とは食事を取りたくないというストーカー女の言い分はとても平和島静雄にとって理に適っていないものなのだ。
ストーカー女がとりあえず話し終わると、平和島静雄は怒りというよりは、拗ねたような口調で言った。


「いいから、ここで食えよ」


ぶっきらぼうな言葉、鋭い眼光、むっとした表情。
平和島静雄のそれに、はうっとりとした様子で一言、「はい…」と答えた。
のとろけるような瞳と熱い吐息混じりの返事に、平和島静雄はまた慌てて自身の弁当に視線を戻した。
青い空に浮かぶ白い雲は、ゆっくりと動いていた。


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