あなた一人だけですよ




昼休み、スピーカーから放送委員が選んだ曲が流れている。
なのにと平和島静雄が一緒に昼食を取っている空間だけは、とても静寂だった。
2人が一緒に昼食を取り始めて2日目。
2人の間に会話らしい会話はなかった。
何を話したらいいのかわからない、というものだけがぐるぐると2人の頭の中を駆け廻る。
は向き合って昼食を取っているというだけで卒倒しかけているし、平和島静雄はそもそも他人とのコミュニケーションの取り方がわからないのだ。
こうして無言のまま、2日目の昼休みが終わろうとした。


「なぁ」


話し掛けたのは平和島静雄だった。
デザートのプリンを食べ終え、空になった容器を脇に置いた彼の視線は彼女に注がれてはおらず、斜め下に向いている。
一方では緊張から不自然な動きで口元に運んでいたお箸を止め、彼を真っ直ぐに見つめた。


「はい?」


首を傾げた動作に、平和島静雄は恐らく気付いてはいない。


「あのよ…、ええとだな…」


もごもごと、何か言いにくいことでもあるようで、中々本題を切り出さない平和島静雄を、彼女はじっと見つめる。


(綺麗な人)


彼女はただ、見惚れていた。
平和島静雄の全てが彼女にとっては美しく精巧な芸術のようなものだ。
触れることを許さない、美術館に飾られている絵画を眺めるように、は平和島静雄をその瞳に映すのだ。


「なんで、俺のことが好きなんだ?」


平和島静雄には他にもいろんな疑問があり、何から聞こうかと考えていたら、思考がごちゃごちゃになり、自分でも予想外の、核心を突くような質問をしていた。
こんなことを聞くつもりではなかったのに、と後悔はしたが、言ってしまったものはしょうがないと腹を括り、そっと顔を上げた。
生温い風が2人の頬を撫でる。
は、きょとんとした顔を見せた。
そして滑らかに唇で弧を描き、静かに目を細め、無邪気でいて妖艶な、何とも言えない笑みを浮かべた。


「好きになったからです」


答えになってはいなかった。
けれど平和島静雄は追及しようとは思えなかった。
自分を好きでいてくれる人が目の前にいることの嬉しさに胸が支配される。
トクン、と鼓動で震えた心臓に、やばいと思った。
彼女というストーカーの存在を日常に組み入れ、彼女が去る恐怖を覚え、今こうして彼女を知ろうとし、彼女の言葉に浮かれる自分がいた。
自分の暴力から離れない彼女は、本当に自分が好きで、本当の本当に自分から離れないのだと確信してしまったのだ。
本格的に浮かれないわけがない。
そうして平和島静雄は、意味がわからない存在として何かを思うことを放棄した相手である彼女に、初めてしっかりと形のある感情を抱いた。
それは紛れもない、好意だった。
平和島静雄はその好意にやばいと思ったのだ。
自分は人を好きになってはいけない存在なのだと、彼の頭が緊急警報を鳴らす。
離れがたくなる前に離れないと、傷付けるだけだと。
そして平和島静雄は気付いた。
もう、離れがたい存在になってしまっているのだと。


「俺の異常な力、知ってるだろ」


ぐっと拳を作り、そして手を開き、ぐっぱを繰り返す。
誰かを傷付けることしかできない手は固い。


「それなのに、好きなのか?」


平和島静雄の、かなりの覚悟や過去のトラウマなどが詰まったその問いに、はいとも簡単に答える。


「はい、好きです」


そんなの大した問題ではないと言うように。
実際、彼女にとってそれは些細なことだった。
しかし平和島静雄にはそれが理解できない。
この力のせいで、人と関わることができなくなったのだ。
彼にとって自分の暴力は、自分とは切っても切り離せない、呪いのようなものだ。
いつだってそれに苦しめられている。
けれど目の前のストーカー女は、それでも好きだと言った。
思わず彼は破顔した。


「本当に、変な女だな、お前」


自分の暴力さえ飲み込んで好きになってくれた彼女は、本当に変な人間だ。
しかし、だからこそ彼女は自分にとって特別になりつつあるのだと平和島静雄は自覚する。
真っ直ぐに自分を好きだと言ってくれる彼女に、確かな好意を感じた。
当の彼女はと言うと、顔を真っ赤にしていた。
平和島静雄の不意打ちの笑顔にやられたのだ。
そうして一緒に昼食を取り始めて2日目の昼休みは終わりを告げた。





その日の放課後も、いつものようには平和島静雄をストーカーした。
そうであることが自然であるように。
寧ろ2人にとっては最早日常だったし、2人を遠巻きに見る人達も日常として受け入れていた。
しかし、今日の2人、というか平和島静雄は少しだけいつもと違っていた。
たまにを気にするような素振りを見せるのだ。
大して意識することもないくらいの存在になっていた彼女が、平和島静雄は気になっていた。
昼休みの出来事がその切欠であることは明らかだ。
否定し、拒絶し、無視していた彼女の好きだという気持ちを少しばかり受け入れてしまった彼は、もう彼女をただの空気みたいなストーカーとして扱うことはできないのだ。
自分を本当に好きだと言ってくれた、希少で特別な人だ。
だからといって、平和島静雄は彼女に恋をしたわけではなかった。
よって平和島静雄から彼女にこれ以上歩み寄る気もないのである。
彼女がいる、ただそれだけで平和島静雄は乾いた心が少しだけ潤うのを感じた。
それだけで良かった。

もまた、平和島静雄がいる、それだけで良かった。
もっとも、彼女の場合は平和島静雄と違って心に潤いどころが噴火させてしまうのだが。
そういうわけで、は平和島静雄に近付きたいわけでもなく、ただ見ていたいだけだ。

そうしてもうこれ以上関係を縮める気のない2人を笑うように、路地裏でステップを踏んでいる男がいた。
折原臨也だ。


「これで終わっちゃあ、つまらないよ。欲を出さなきゃ、駄目だよ。そしてシズちゃんには傷付いてもらわないとね」


ニヤニヤと笑みを浮かべて臨也は路地裏の奥へと消えていく。
しなやかに、滑らかに。
その姿は黒猫に似ていた。





その翌日、平和島静雄とは無言のまま昼食を終えたを教室で出迎えたのは折原臨也だった。
ストーカーという変態ではなく、平々凡々女子高生へとスイッチが切り替わっていた彼女は戸惑いの色を顔に浮かべた。


さん、こんにちは」
「…こんにちは」


ニコニコが愛想のいい男に、は警戒心を抱いた。
なんとなく、平和島静雄がよく追いかけ回している人だというのはわかったが、だから警戒したのではない。
折原臨也という人物そのものが、とにかく信頼できない雰囲気を纏っているのだ。


「直球で聞くけどさ、君はシズちゃんとどうなりたいの?」


世間話のような軽い口調で尋ねたが、臨也の目はを観察するものになっていた。
臨也の目に映る彼女は、平凡を体現したかのような女子生徒でしかない。
それが彼にとって、ひどく面白く、心が躍った。


「どうなりたいとか、何もないです」


やっぱりそうか、と納得する臨也を後目に彼女の言葉は続く。
凛と紡がれる言葉は、変態スイッチが入っていることがわかる。


「私はただ、あの綺麗な人を見ていたい」


傍にいたいわけではない。
守りたいわけではない。
愛されたいわけではない。


「平和島静雄君だけが、私の神様だから」


臨也の脳裏に、ある光景が思い浮かんだ。
全てをめちゃくちゃにしてしまう、忌まわしい存在でしかない平和島静雄が土と血に汚れていて、その姿に跪く
そんな光景だ。
臨也は我慢できないというように、笑い声を上げ、顔を片手で覆った。


「ああ、君はすごいよ、さん」


恍惚した顔は色気よりも狂喜の方が色濃く、興奮を隠しきれない臨也の瞳がを捉える。
彼女は冷静に、目の前で笑う男の姿などどこ吹く風といった様子で立っていた。


「本当に、面白い」


ニヤリと、悪党の笑みを浮かべた臨也に、は「そうですか」とだけ答え、臨也の脇を抜け、教室に入る。
廊下にいた人々の注目を浴びていた臨也もその場から立ち去った。


「アレルヤ」


悪い顔で、その一言を呟いて。


inserted by FC2 system