海のなかで見るゆめ




が平和島静雄に告白をする2週間前。
それは突然訪れた。
前触れなどなく、虫の知らせもなく、唐突に彼女の前に現れたのだ。
急ブレーキをかけるトラックと、誰かの身体が撥ねられる瞬間を、は確かに目にした。
そして撥ねられた人物は、来神高校で知る者はいないであろう、めちゃくちゃな力を持つ平和島静雄という男だった。
自分の通う高校の制服を着た男子生徒がトラックに撥ねられたのだ。
はそれはそれは驚いたし、動揺したし、どうしたらいいのかわからず茫然としてしまった。
心臓はとても煩いし、手足もがくがくと震え出したのに、彼女はどうすることもできずに、横たわる彼を見ていた。
盛大に撥ねられたその男の周りには、ドラマで見るような血だまりなどできてはいない。
救急車、という言葉を周りの人の誰かが発したのか、それとも自分の頭の中に自然と浮かんだのかはわからないが、救急車を呼ぶということをしなければいけないことに、はやっと気付いた。
しかし、ケータイに手が伸びない。
トラックの運転手が車から降りて「嘘だろ」なんて呟いている。
ざわざわと喧騒がその現場を包んだ。
そしてやっとの手が動いた時、喧騒の真ん中にいた、倒れていた男がのろのろと立ち上がった。
それは例えるなら獣だった。
傷を負った獣は凶暴だ。
トラックの運転手は彼の放つ暴力的なオーラに怯えるように、数歩下がる。
そして、平和島静雄はグッと両腕を伸ばし、次にグルグルと回した。


「痛ぇーな」


それだけ言って、平和島静雄はそこから去った。
はそのときはまだ彼に恋をしなかった。
ただ、噂通りのめちゃくちゃな人なんだ、噂は本当だったんだ、という認識で、言うならば、本当に普通の感想を抱き、普通に平和島静雄に驚愕し怖がりもしただけだった。
そんな普通な感想が、恋心に変わり、平々凡々な彼女が変態となるのは、その1週間後である。





(あ、この前トラックに撥ねられて平気だった人だ)


は少し遠目で平和島静雄をそう認識した。
放課後、母親に頼まれたおつかいに出掛けた帰りだった。
平和島静雄は公園にいて、はその外にいた。
彼女にとって、それは運命の出会いとなる。





そんな出会いを思い浮かべて、は1人でふふっと笑った。
彼女の視線の先には、帰路を進む平和島静雄がいる。
一緒に屋上でお昼ご飯を食べ始めてから4日目、会話はなかったが、彼女にとってそんなのどうでも良かった。
ただ平和島静雄という素敵な存在を目にしていることが幸福で仕方がなかった。
どうやら今日はプリンを買いにコンビニに寄ることも、不良に絡まれることもなく家に着きそうだ。
それが嬉しいのか、平和島静雄の背中はどこか気楽そうにも見えた。
闘う平和島静雄も、ご飯を食べる平和島静雄も、のんびりと帰る平和島静雄も、の目には等しく特別なものに映る。
そして、平和島静雄はチラリとの方を窺った。
先日から、そうやって自分を気にするような態度を見せるようになっていることに、は気付きはしたが、その意図や胸中を推し量ることはできなかった。
というか、しようとも思わなかった。
バチリ、と目が合えば恥ずかしさで頭がいっぱいになり、目を背けるだけなのだから仕方がない。
一方、平和島静雄はそんなストーカー女の行動に自分まで恥ずかしくなっていた。
ストーカーされている者とストーカーしている者という関係にしては、あまりに初心で純情な反応を見せる2人だった。





無事、何事もなく帰宅した平和島静雄は、冷蔵庫から牛乳を取り出し一息吐いた。


(今まで大して気にならなかったのに、なんか、気になる…)


平和島静雄はストーカー女について考えていた。
慣れたはずだ、日常に組み入れていたはずだ。
それなのに、今になって彼女を意識し始めたということ自体が平和島静雄を少なからず戸惑わせていた。


(恋愛とか、そーゆーんじゃねーけど、なんか、うん)


彼女は自分を好きになってくれた人なのだ。
確かにいきなりストーカーするとか言い出した変な女だけど、自分を好きだと言った、特別な人だ。
彼女が自分を受け入れてくれているというのなら、自分も彼女を受け入れるべきだと、平和島静雄は思っていた。
彼女という存在はもうとっくの昔に受け入れてはいたが、彼女という人物をちゃんと見つめてはいなかったのだ。
言うならば、平和島静雄はストーカー女と交流し、言葉を交わし、心を通じ合わせたいと思っているのだ。
つまり、今までできなかった、他者とのコミュニケーションというものをしたいということだ。
彼は自分のあまりに大きすぎる力の為に、自分から誰かに関わろうとはしなかったが、同時に誰かと関わるということに飢えてもいた。
普通の男子高校生として、他人との関係を築き、平凡に楽しく日々を過ごしたいのだ。
そして、それができない原因である自身の暴力を全く気にしないあのストーカー女は、もしかしたらその第一歩、最初の人になれるかもしれなかった。
平和島静雄は、ストーカー女に一種の希望を見出していた。


(あの女と、普通にいろんな、くだらないこととか、しゃべったりしてぇな)


自分の名を体現するかのように、平和に静かに、高校生活を送る光景を彼は想像した。
今のところ自分としゃべれるのは、新羅と門田、そしてあの女だ。
そして、理想とする光景の中で自分としゃべるのは、あのストーカー女だった。
何故なら、平和島静雄は彼女が好きだからだ。
恋愛でも友情でもなく、自分の嫌いな自分の暴力を呑み込んで、自分を好きになってくれた彼女が、包括的に好きなのだ。





「何?もしかしてシズちゃんさ、あのストーカー女となら、普通にコミュニケーションできて、案外いい感じな関係築けるんじゃないかって思ってたりした?残念でしたー。そんなの無理無理。今までだってそうだったんでしょ?シズちゃんが関わると、碌なことないんだよ。特に普通な人にとってはね。夢を見るなよ、化物」


折原臨也を見れば、平和島静雄はまず殴り掛かるか、標識か何かを引っこ抜くかする。
だからそのときも、奥歯を噛み締めて、拳を握り、一瞬で怒りが沸いた。
けれど、その拳は振るわれなかった。
臨也が「今日は見ないね、あのストーカー女」と言ったからだ。
そして平和島静雄は、臨也が何か仕組んでいるのだと直感し、確信していた。
朝から見ていないストーカー女に、どうしたのだろう、風邪でもひいたのかと、気にかけながら過ごした1日は、どこか落ち着かなかった。
そしたら放課後、目の前に現れた臨也はそんなことを言うではないか。
彼女が何か良からぬことに巻き込まれているのは明らかだ。


「てめぇ、何企みやがった…」
「別に」
「殺す」
「ハハッ、死ぬのはそっちでしょー」
「死ね!」


平和島静雄は、やっとその拳を振るった。
臨也は風を纏ったかのような拳を避け、颯爽と踵を返す。


「俺を追うより、あの女を助けた方がいいんじゃない?」


ククッと笑って走り去る臨也を追いかけようとした足が止まる。


「臨也あああああ!!!!」


憎々しいその名を叫び、次にぐるりと周りを見渡した。
その群衆の中に、いつもならいるべきストーカー女はいない。


(くそっ、くそっ、くそっ!!)


わかっていたはずだった。
例え彼女が自分の暴力を気にしなくても、自分は周りの人を巻き込み傷付けることに変わりはないのだ。
自分の力のせいで誰かが、罪のない人が、傷付くのはもう嫌だし、許されないことだ。
だから自分は人と関わらないようにしていたんだ。
そんなことを忘れていたのは、紛れもなく、自分を好きだと言う女の出現に浮かれていたからだった。
そうやって自分を責めようとしたが、それは後回しにしようと、無理矢理気持ちを切り替える。
あの女はどこにいるのか。
手がかりなんて、皆無に等しい。


(しょうがねぇ。勘だ)


平和島静雄は鋭い目つきで池袋の町を見た。


「あっちが臭いな」


グルルルル、と唸りでも上げるかのようだった。
そして平和島静雄は走った。
頭の中で、あのストーカー女の名を呼ぼうとしたが、名前を知らない為、それはできなかった。
代わりに頭の中で、あの臨也の声が反芻する。


『夢を見るなよ、化物』


その声に、平和島静雄は殺意で答える他なかった。


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