侵蝕して虫食んで壊して愛して




その日その時その瞬間、平和島静雄は公園にいて、はその外にいた。
公園の外から‘化物’との呼び声が高い平和島静雄を確認して、平凡で普通な彼女は、普通に遠巻きに平和島静雄をちらちらと恐怖と好奇心の混ざった目で見ながらも、足を公園から離れさせようとしていた。
けれどその足は止まった。
は見つけてしまったのだ。
平和島静雄が大事そうに腕に抱えた、猫の死骸を。
その猫はの家にもたまに顔を出す野良猫だった。
灰色の毛に少しだけ太った体、足先だけ毛が黒いその猫は、あの野良猫に違いなかった。
も、彼女の母親も、庭に来るその猫をよく構っていた。
その猫が血塗れで平和島静雄の腕の中にいた。


(彼が殺したのではないだろうか、あの化け物じみた恐ろしい怪力で)


そう、一瞬でも思ったのは多分仕方のないことだった。
彼女は彼の人間性など知らず、ただ普通に彼を怖がっているだけの一般人なのだから。
そのまま疑惑と怒りに駆られて平和島静雄に詰め寄ろうかと足を踏み出したが見たものは、平和島静雄の表情だ。
それを見た瞬間、彼女は息を飲んだ。
彼は悲しい顔をしていたのだ。
悲痛に顔を歪め、腕の中の猫の死骸に哀悼を送っていた。
そして平和島静雄は猫の死骸をそっと地面に置き、公園の中にある、生垣の裏にしゃがんだ。
はやっとその足を動かし、そこが見える位置に移動する。
平和島静雄は穴を掘っていた。
制服が汚れるのなどお構いなしで、彼は自分の怪力を土に向けていた。
必死に、泣きそうなのを我慢して。
そうして出来上がった穴に、そっと猫の死骸を横たえ、土を被せる。
あの野良猫の墓が公園の隅に作られたのだ。
それからが目にしたのは、平和島静雄が手を合わせ、すりよってきた子猫に微笑む姿だった。


「お前、こいつの友達だったのか?」


哀しく微笑む平和島静雄は、恐る恐る、子猫に手を伸ばしたが、結局子猫を撫でることなく、手は引っ込められた。


「ごめんな、こいつ、俺の目の前で車に轢かれたんだ。車の運転手ぶっ飛ばそうかとも思ったんだけどよ、この猫、ほったらかしになんてできねーし。粗末の墓で悪いな。でも、ないよりましだろ?」


ニャー、と子猫は返事のような鳴き声を上げた。
平和島静雄はまだ悲しみを携えてはいたが、優しく優しく、笑った。


「天国に行ったさ、きっと」


木陰から降り注ぐ光と、その笑顔に、は泣きそうなくらい感動していた。


(この人は、猫の死を悼む優しい人。優しく笑う人。綺麗に笑う人。美しく悲しむ人。素敵な人なんだ)


そのとき、彼女は彼に恋をした。
‘化物’と恐れられる彼の、まるで天使か神様みたいな美しい姿を知って。
彼女の目に映った平和島静雄の美しさは、異常な程、彼女を惹き付け、魅了した。
彼女は彼を見ていたいと思った。
それが、ストーカー告白の原点だった。





「あの猫はきっと天国に行ったんだと思います。平和島静雄君が天国に導いたんです。そして私は貴方が優しくて綺麗で美しくてかっこよくて純粋で繊細で素敵で、貴方を表す言葉が足りないくらい、本当に素敵な人なんだと知りました」


は恋に落ちた日と同じ目をして平和島静雄を見つめた。
誰よりも何よりも美しくて優しくてかっこよくて素敵な人。
そう確信して、彼を信仰する目だ。


「あの瞬間、貴方は私の神様になりました」





神という言葉に戸惑わない平和島静雄ではなかったが、それ以上に本当にそんなことでひどく暴力的な自分を好きになったのかと思った。
けれど彼女は言った。
それだけの理由で充分だと。
あの時の自分は本当に美しくて神様と呼べる存在だったと。
そしてあっさりと、平和島静雄は納得していた。
きっとそんなものなのだろうと。
かつてパン屋のお姉さんに淡い気持ちを抱いた自分も、思えばとても単純な理由で好意を抱いていたのだし。
と、そんなことを考えているのは昼休みが終わった後の教室だった。
自分の席で次の授業の準備をしつつ、先程のが語った自分に惚れた経緯に思いを巡らす。
たまにあの公園に足を運んだ時、作った猫の墓に花が手向けられている時がある。
花束とか立派なものではなく、一輪の花だ。
もしかしたらそれはが手向けたものではないだろうかと思い至った時だった。
平和島静雄の爪先に、何かが当たった。
目を向ければシャーペンで、「あ」という声を発した男子が顔を上げた先にいた。
平和島静雄は理不尽なことが嫌いなだけで、何でもかんでもキレるわけではなかった。
今回だって、たまたま落としたシャーペンがたまたま転がっただけだ。
そんなことでキレたりしない。
でもきっとシャーペンを落としたであろう男子はそんなこと理解していない。
そして平和島静雄も理解してもらおうと努めたことはなかった。
こういうことはよくあったが、平和島静雄は拾おうとして手に取ったものを壊す可能性があるということと、落とした人間が自分を恐れていることをわかっているため、自分が席を立ちどこかに去るということで何とかしてきたのであった。
けれど今この時この瞬間、平和島静雄の頭の中に浮かんだのは、という普通の女の存在だった。
彼女との関わりの中で、彼は他人との関わりにより一層飢えていたし、彼女の存在が他人と関わる勇気を与えてくれたのだ。
平和島静雄は、シャーペンを拾った。


「ほらよ」


男子生徒はびくっとした様子を見せ、恐る恐るとシャーペンを受け取った。
平和島静雄は、そう簡単には変われないか、と少しばかり落胆したわけだが、それは顔には出さず、男子生徒から顔を背ける。


「…ありがとう、平和島君」


思わず、平和島静雄は顔を上げた。
今何を言われたのかわからない、という表情をしていたので、男子生徒はもう一度お礼を言う。


「あの、だから、シャーペン、ありがとう」


その男子生徒の顔は半分引きつってはいたが、笑顔だった。


「別に、足元にあったからな」
「あー、そっか、そうだよね、はは、ごめん」
「なんで謝ってんだよ」
「ヒッ!」


思わず低い声が出てしまった。
平和島静雄からしてみれば、シャーペンが転がってきたことで謝る必要なんてないんじゃないかと思っただけだったのだが、男子生徒からしたら怖がらせるだけのものだったらしい。
男子生徒の反応にはやはり少なからずショックを受ける。
自分は誰かを怖がらせてばかりいる‘化物’なのだと思い知るから。
たとえが平穏を与えてくれたところでそれは変わらない。
多分自分は彼女の行いを無為なものにしているのだと平和島静雄は思う。
もっと違う言い方があったに違いなく、違う言い方をすれば普通にコミュニケーションが取れたかもしれないのだ。
そしてそんなこともできない自分に嫌気が差して、彼は席を立った。
どこに行くのか、なんて声を掛ける者はいない。





「あ」


廊下に出た平和島静雄の目の前に現れたのはで、自分と目が合うなりポッと頬を赤らめた。
こんな反応するのは、きっと世界でただひとり、彼女だけだろう。
そう思うと、平和島静雄の中でまた彼女の存在が大きくなる。
どんどん、どんどん、が特別になっていく。


「えと、どこか行くんですか?」


はにかみながら、そんなことを聞くに、少し居心地の悪さを覚える。
暴力を振るわなくて済む日々を与えてくれて、他人と関わる機会を作ってくれたというのに、自分は逃げてきたからだ。
言葉に詰まり、思わずぶっきらぼうになってしまう。


「別に」


恐らく、平和島静雄を暴力の化身というフィルター越しに見ている者からしたら、それはすごく不機嫌なものに見えただろう。
しかしながら、いつだって平和島静雄を美化するの目には、それはどこか寂しそうに見えた。
その寂しそうな姿がまた素敵なのだ。


「どこか行くなら、ご一緒させていただいても、よろしいですか…?」


のその言葉は、当然平和島静雄にとって予想外のもので、思わず「あ、ああ」と肯定してしまう。
自分を怖がりもせず、自分から離れもしない彼女に、やっぱり嬉しいという気持ちは抑えられない平和島静雄は、自然と浮かぶ笑みを誤魔化すように手で口元を覆った。


(やばい)


そう、思った。





2人は始業のチャイムが鳴り終わると同時に、屋上へ続く階段に腰掛けていた。
は授業を初めてサボったのだが、全く気にしていなかった。
隣に平和島静雄が座っているという事実で頭がいっぱいなのだ。
一方の平和島静雄も、のことを考えていた。
自分を好きだと言ってくれた女性のことを。


は俺を好きになってくれた。異常な力を度外視して。ずっと俺のストーカーで、ずっと俺を見ていてくれた。俺はに好かれていることに慣れてしまって、当たり前で、日常で、普通で。だからが傍にいないと、違和感がある。ぽっかりと、あるはずのものがない違和感。それはこの前感じた。そして俺は、今、もっとと一緒にいたいと思ってる。それはつまり、)


隣に座るをチラリと見ると、バチリと目が合った。
真っ赤な顔に少しだけ涙目で焦って挙動不審になる彼女を可愛いと感じる。
そして同時に、彼女の隣という位置に安心感を覚えていた。
自分が‘化物’ではなくひとりの男として、彼女に存在を許されていることがわかるからだ。


「なあ」
「は、はい!」


真っ直ぐ平和島静雄を見つめるの目は、キラキラと輝いていた。
彼女の中の平和島静雄は、いつだって、あの公園で野良猫を埋葬した、美しく優しく綺麗な神様なのだ。
たとえ平和島静雄が短気で暴力的で破壊的だとしても、それは変わらない。
そんなの様子に、平和島静雄は照れ臭そうに目を逸らし、ぽつりと呟いた。


「俺がお前のこと好きだって言ったら、お前どうする?」


授業中のため、2人の座る階段は静寂に包まれていた。
だから彼の小さな声はよく響いた。
は、最初平和島静雄が何を言っているのかわからなかった。
理解の範囲外だったからだ。
頭が全く追い付かない領域のことを、平和島静雄は言ったのだ。


「えっ、あ、え、ええ、あれ、えっ」


まったく言葉になっていない声を漏らすに、少しだけ平和島静雄はイラッとした。
平和島静雄が彼女にイラッとしたのは、初めてだった。


「だから!俺は、多分、のこと好きなんだよ!人間としてじゃなくて、女としての、お前を」


最初こそ威勢は良かったが、最後の方は弱気になっていた。
たとえが自分を神様だとか称えようが、自分が化物じみていることに変わりはなく、普通の人を好きになってはいけないのだと承知しているのだ。
つい、思わず告白してしまったが、許されないことだという自戒が、平和島静雄の首を絞めている。
それでも、平和島静雄は告白を続けた。
自分の思いを真っ直ぐに届けてくれる彼女に憧れて、自分も少しは素直になれたのだ。
もっと、みたいに、自分の思いをしっかり伝えないと、きっと彼女に対して失礼だ。
そんな思いが、彼の自戒をゆっくりと解いていく。


「こんな化物みたいな俺を、優しいとか美しいとか言ってくれた、お前が好きだ」


きっと誰も知らないだろう。
平和島静雄が猫の墓を作り、埋葬したことなんか。
でも彼女はそれを知ってくれて、そんな自分を好きになってくれた。
それだけで、彼女への好意は恋へと形を変えてしまった。


「暴力を振るわない俺を見つけてくれて、好きになってくれたは、すごく特別なんだ」


(誰にも関わりたくなんかなかったのに、告白までしちまうなんて。ちょっとストーカーされたぐらいで)


けれど他人に好きだと伝えることのできる自分は、今までの人生の中で1番好ましい自分だった。
化物であることも、まだまだ他人と関われないことも、彼女の言う自分の優しさを誰かに向けるのが苦手なことも、何も変わっていないことは認めた上で、平和島静雄は笑う。
そこには、どうせいつか彼女を傷付けてしまうであろう悲しさも含まれていた。
平和島静雄は自分の運命を知っているのだ。


が好きだ」


せめてこの平穏な1ヵ月だけは、この気持ちと共に彼女の傍にいたいと願う彼の笑みは、猫を哀悼した時の笑顔に似ていた。


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